【社会】だからテレビを観るとバカになる…「日枝久氏は36年、ナベツネは33年」マスコミで独裁者が生まれやすい理由

【社会】だからテレビを観るとバカになる…「日枝久氏は36年、ナベツネは33年」マスコミで独裁者が生まれやすい理由

影響力のある人物たちが長年にわたりマスコミ界で権力を持ち続けていることが、視聴者の思考にどう影響しているのかについて考察されていて興味深いです。私たちが消費する情報の質が、社会全体の知的レベルにどのように寄与するのか、一度立ち止まって考える必要があります。

■「メディアのドン」はなぜ生まれるのか

メディアには昔から「ワンマン」「ドン」「独裁者」と呼ばれた経営者が多くいた。

今、中居正広と関連会社の女性との「性的トラブル」問題で激震している、フジテレビの日枝久フジサンケイグループ代表(87)もその一人である。

メディアにそうした人間が輩出しやすい理由はいくつか考えられる。

この業界は変化が激しく、常に新しい情報やコンテンツを生み出す必要があるため、強力なリーダーシップを持つ経営者がいて、迅速な意思決定や大胆な改革を行うことが求められることがその一つだろう。

メディア特有の条件もある。これまでの多くのワンマンメディア経営者は報道、それも政治部出身が多かった。「ウォッチドッグ」ではなく、時の権力者と良好な関係を築き、それを“誇示”することで、自らの虚像を膨らませ、君臨してきたのである。

日枝氏も安倍晋三元首相と親しかったといわれる。「安倍晋三元首相が銃撃され、遺体が自宅に運ばれた際、いち早く駆けつけたのが日枝氏でした。二人はお互いに河口湖畔に別荘を持つゴルフ仲間で、生前は富士桜カントリー倶楽部を一緒に回ることも多かった」(永田町関係者)と、『週刊文春』(2月6日号)が報じている。賛否喧しかった安倍氏の“国葬”の司会をしたのもフジのアナウンサーだった。

■日枝氏の独裁ぶりはまだ可愛いもの

また、『週刊新潮』(同)によれば、森喜朗元首相の孫娘や岸信夫元防衛相の息子(現在は衆院議員)、故・中川昭一元財務相の長女、加藤勝信財務相の娘もフジに入社しているという。

さらに日枝氏は、人事権を一手に掌握し、自分を脅かす存在になる人間を切り捨て、イエスマンばかりを取り立て、長きにわたって君臨してきた。

週刊誌には「日枝久の大罪」などのタイトルが特筆大書されているが、長いあいだ、メディアを見てきた私からいわせれば、日枝氏などはまだ可愛い独裁者である。

戦後のメディア史には、彼をはるかに超える独裁者が何人もいた。中でも特に多いのは読売新聞である。

もはや覚えておいででない方も多いことだろうが、戦前、弱小新聞だった読売新聞を買ったのは、元警視庁警務部長だった正力松太郎氏だった。第7代社長になった正力氏は、斬新な企画を次々に打ち出し、当時の大新聞、朝日と毎日に対抗する新聞に育て上げた。

当時、新聞の一面には書籍などの広告を掲載するのが普通だった。それを現在のように重要なニュースを一面に載せるようにしたのは正力氏だったといわれる。

■原子力を普及し、CIAの協力者だった読売トップ

私の父親は戦前から読売に入り、読売一筋に生きた人だった。お銚子半分も飲むと酔ったが、そんな時よく、「俺は正力さんと一緒に印刷現場で働いたことが誇りだ」「読売争議の時にアカを追い出してやった」といっていた。生きて今の読売を見たら何というだろう。

正力氏はいち早くテレビの可能性に目をつけ、1953年日本テレビ放送網の本放送を開始し、プロレスプロ野球の普及に尽力した。

しかし、1955年、アメリカの「平和のための原子力」プログラムを読売のトップで大々的に紹介し、そこから原子力の普及にのめり込んでいく。その年、正力氏は衆院選に出馬し当選。翌年に原子力委員会の初代委員長に就任するのである。

また氏はCIAの協力者であったことが、アメリカに保管されていた公文書により判明している。

このように、後年は新聞経営には関心を失っていくのだが、「大正力」と奉られていた独裁ぶりは衰えなかった。

その一つが「正力物」といわれる“名物”コーナーであった。当時読売社会部の記者だったノンフィクション作家の本田靖春氏が『我、拗ね者として生涯を閉ず』(講談社)でこう書いている。

■“社長案件”が続いて読者からも苦情が

「正力物というのは、主として、正力が号令をかけて推進する、読売グループの企画や事業を、その進捗状況に応じて逐次、社会面に掲載する記事のことである。

その他に、正力の許に表敬訪問などでやってくる内外の要人や『賓客』の来訪の主旨も社会面の記事にする。これら正力物は、ひどいときには、それこそ三日にあげず、紙面に登場するのであった」

当然ながら、現場の記者たちは無条件でそれを受け入れていたわけではない。そこで、正力氏の住んでいる神奈川県逗子市に配布される版だけ三段扱いにし、ほかの版はベタ記事にするという姑息なやり方をしたというのである。

当然だが、読者からも苦情の電話が殺到した。本田氏は、正力氏の新聞の私物化に声を上げたが、同調者は一人も出なかった。本田氏は、「自分が現に関わっている身内的問題について、言論の自由を行使できない人間が、社会ないし国家の重大問題について、主張すべきことをしっかり主張できるか」と考え、読売を去った。

しかし、次の務臺光雄氏の独裁ぶりは正力時代を超えた。“新聞が白紙でも売ってみせる”と豪語し、読売を日本一の部数に押し上げた。

だが、社内に自分を批判する者がいないかスパイを置き、自分を脅かす存在になってきた氏家齋一郎氏を日本テレビに放り出し、そこも首にしてしまった。

現在の大手町の社屋を国から払い下げてもらうために時の総理に談じ込み、「やらないなら読売の総力を挙げて叩いてやる」といったのは有名な話だ。

■「社論を決めるのは私で、会議ではない」

私は『月刊現代』(1985年6月号)で、“老害”といわれている務臺氏は辞めるべきだと書いた。務臺氏は怒り狂って社内報の特別版を作り、「現代はデタラメを書いた」と猛反論した。

その務臺氏が後継に指名したのが渡邉恒雄氏であった。社長と主筆を兼務して務臺氏を超える独裁支配を続け、読売を発行部数世界一の新聞にしたが、社論の私物化や政権との距離感のなさが度々批判された。

先の本田氏は、読売の論説会議で司法担当だった元同僚が渡邉氏に、「社論を決めるのは私で、会議ではない」といわれたことを引用して、こう批判している。

「言論の府である読売の渡邉恒雄社長(当時)が、社内の言論の自由は認めない、と公言して憚らないのだから、彼の率いる発行部数日本一の新聞が、わが国の民主主義を危うくさせているわけで、考えてみるとそら恐ろしいことになっているのである」

昨年12月19日、渡邉氏が98歳で亡くなるときには部数は600万部を切っていた。

渡邉氏と同時代にNHKとテレビ朝日にも独裁者がいた。“島ゲジ”と恐れられた島桂次NHK会長と、社長にはならなかったが隠然たる力を持っていたテレビ朝日の三浦甲子二(きねじ)氏である。

この3人が「中曽根内閣」をつくったといわれた。中でも三浦氏は内閣の組閣まで手助けしたという。

■政治に介入するメディアのトップたち

私は晩年の三浦氏と親しくさせてもらった。彼は朝日新聞出身。1977年、ソ連のブレジネフ書記長と会談し、1980年に開催されるモスクワオリンピックの独占放送権を獲得して日本中を驚かせた。

だが、その後、ソ連がアフガニスタンに侵攻したことで、アメリカと共に日本も不参加が決まり、不遇の時代が始まった頃に三浦氏と知り合った。

三浦氏は60歳という若さで亡くなったが、中曽根氏は真っ先に通夜に駆けつけ、「私にとっては、中曽根内閣成立に生涯をかけた一人である」と弔辞を読んだ。

島会長は豪腕でNHKのスリム化や商業路線を推進し、小沢一郎自民党幹事長(当時)と組んで元報道局長の磯村尚徳氏を東京都知事選で担ぐなど政治的志向も強かった(磯村氏は落選)。

その後、欧米の放送局と組んで日本版CNNをつくろうと、アメリカで衛星を2度打ち上げたが失敗。その際、愛人と一緒に海外旅行していたことが報じられ、辞任した。

その後も週刊誌などで“エビジョンイル”と称された海老沢勝二氏が会長になり、人事権を武器に独裁的な支配をしていたが、やはり不祥事で辞任することになった。

■「朝日とケンカしても勝てない」の意味

朝日新聞はどうか。廣岡知男氏は社長と主筆を兼務した最初だといわれている。東大野球部、六大学野球の首位打者になった大柄な人だった。

当時、絶大な力を持っていた社主の村山家を排除したことでも知られる。朝日が“大朝日”といわれていた時代に“強権ぶり”を発揮した。

私は、廣岡氏の晩年に親しくさせてもらった。温厚な知識人だったが、一度驚いたことがあった。

1989年、朝日のカメラマンが、沖縄の世界最大級のアザミサンゴに「落書きがある」ことを発見したと報じた。だが、自身で傷をつけて写真を撮った捏造報道だったことが発覚したのである。

沖縄のダイビング組合から朝日にクレームが入り、社長が引責辞任に追い込まれたのだが、廣岡氏は私にこういった。

「昔は朝日とケンカしたって勝てないから、政治家だって文句をいってくるヤツはいなかった」

朝日文化人を象徴する“大朝日人”の言葉とは思えなかったが、もちろん捏造をよしとしていたのではない。朝日が報じる記事に関しては、それほどの自負を持っていたのになぜ、ということなのだろう。

■「フジテレビ問題」は長い独裁体制の象徴である

何人かの例を見てきたが、不思議なことに独裁者がいる時期はその社の業績もいいようである。

日枝氏も美人女子大生を積極的に採用してアイドル化し、「楽しくなければテレビじゃない」をキャッチフレーズにフジテレビを民放ナンバーワンの局にした。渡邉氏も一時は1000万部を達成し、世界一の新聞に読売を押し上げた。

だが、「権力は必ず腐敗する」の譬え通り、渡邉氏は33年、日枝氏に至っては36年もの長きにわたって権力を保持し続けたために、あちこち腐食が進んできたのだろう。

渡邉氏に聞きたい。読売新聞朝日新聞を退けて日本のオピニオンリーダー紙になったのか? 世界に冠たるクオリティペーパーになったのだろうか?

フジテレビは、長年続いてきた女子アナ「上納文化」や、コンプライアンスに対する不信感、ガバナンスへの疑問が問われ、その礎を築いてきた日枝独裁体制が崩壊しようとしている。

フジテレビに限っていえば、局を挙げてやってきた「軽チャー」的番組を作り続け、楽しければ何をやってもいいという節操のなさが、中居正広氏の性的トラブルを黙認して番組を継続し、被害女性の悲痛な訴えを無視してきたことへとつながるのではないのか。

では、フジテレビが変わるためには何が一番必要なのだろうか。日枝氏一人を解任したから「フジテレビが変わりました」といえるはずはない。

■「テレビを観るとバカになる、というのは本当である」

そこで度々の引用で申し訳ないが、本田氏の言葉を紹介させてもらいたい。氏は重度の糖尿病を患い、両足切断、片方の目を失明、片方も見えにくくなっていた。

入院先のベッドで、指に万年筆を縛り付け天眼鏡で、まさに石に彫るがごとく一字一字書きながら、連載を続けていた。

それ以外はテレビをつけたままにしていた。その本田氏がテレビについて書いているが、氏が亡くなったのは2002年だから、2000年代初めということになる。

「テレビを観るとバカになる、というのは本当である。事実、私もかなりバカになった。職業的ミーハー集団ともいうべきテレビ局が、バカを相手にバカ番組ばかりつくっているのだから、元来、バカの資質がある視聴者たちが正真正銘のバカになるのは、当然の成り行きであろう。

今は愚民の最盛期である。そうした風潮を招いた元凶はテレビ(いちおうNHKは除く)である、と断言して憚らない。

ことばが軽くなった、と嘆いて自刃したのは三島由紀夫だが、思想・信条を越えて深く共感する。特にテレビの連中は、知性を磨くことも、教養を深めることもしないから、軽い乗りで調子よく喋るのが主流で、使う言葉に重みというものがない」

■今こそ原点に立ち返るべきではないのか

これが書かれてから20年以上がたつが、さらに事態は深刻になっているように思う。奇声を上げてゲラゲラ笑うだけの芸なし芸人。驚くほどうまいものなんて世の中にそうはないのに、何でも口に入れては「おいし~」と嘆声をあげる食い物レポーターたち。テレビドラマの原作の多くは他社の小説かマンガからである。

だが、本田氏もいうように、このようにした責任はテレビ局だけにあるのではない。テレビを観る側にも責任があるのではないかと問うているのだ。私を含めて女子アナのアイドル化に積極的に加担した週刊誌の責任も重い。

視聴者は、今のテレビに報道機関としての役割など期待していないのであろう。ましてや権力のウォッチドッグになれなどとお説教を始めれば、視聴者から顰蹙を買うことは間違いない。

テレビは面白ければいい。作り手も観る側もそう考え、そうした番組ばかりを流し続けてきた結果、今回のフジテレビ事件が起きたのである。

朝日新聞2月16日付)の「日曜に想う」で吉田純子編集委員がこう書いている。
「視聴者がいま渇望しているのは『楽しませてあげる』というおもねりでも、人気タレントの輝きの応酬でもなく、己の『伝えたい』に人生を懸けるテレビ人、ひとりひとりのまっすぐな気概のはずだ」

私は、テレビにはまだまだ可能性があると考えている。それを芸能プロと癒着したり、人気タレントたちをひたすら消費したりするだけで終わってしまってはもったいない。

報道機関としてのテレビの果たす役割。テレビの可能性。テレビ草創期には多くのテレビマンたちが考えたであろうことを、これを機にフジテレビだけではなくすべてのテレビ局に真剣に考えてほしいと思う。

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元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任する。上智大学明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『編集者の教室』(徳間書店)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、近著に『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)などがある。

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フジテレビの日枝久会長 – 写真=共同通信社

(出典 news.nicovideo.jp)

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