【社会】戦時中の事故で水没した「長生炭鉱」、海に眠る遺骨探して…”最強ダイバー”の思い
【社会】戦時中の事故で水没した「長生炭鉱」、海に眠る遺骨探して…”最強ダイバー”の思い
太平洋戦争中の1942年2月3日、山口県宇部市の床波海岸にあった「長生炭鉱」で、天盤崩壊による水没事故が起きた。朝鮮人136人と日本人47人、合わせて183人が命を落とした。
この事故の犠牲者の遺骨は、83年以上経った今も回収されず、海に眠ったままとなっている。
今年4月1日から4日にかけて、長生炭鉱の坑口で、市民団体「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」(刻む会)が遺骨発掘のための潜水調査をおこなった。このうち2日間は日韓のダイバーが共同調査した。
2025年2月に続いて3回目となったが、いずれも調査にあたったのは、水中探検家の伊左治佳孝さん(36)だ。
国内外の沈没船や海底洞窟など、水中における閉鎖空間で調査を続ける伊左治さんは「長生炭鉱での僕のミッションは遺骨を見つけること」と語る。伊左治さんに遺骨発掘の意義について聞いた。(ライター・朴順梨)
●「坑口」の場所がわからなくなっていた
周防灘に面する海底炭鉱である長生炭鉱は、1914年に開鉱したものの、1922年に水没したため一度休業し、1932年に再開された。
当時、坑夫たちは岸から海に向かう狭い坑口から、最大15度の傾斜がある坑道を約1100メートル進んだ場所で作業にあたっていた。
戦時下における国策のもとで増産を強いられたため、本来なら海底から深さ40メートル以上で採掘しなければならない決まりだったが、一番深い部分でも30メートルという場所で採掘していたとされる。
そんな状況で彼らは事故に巻き込まれて、直後に二次被害を防ぐという名目で坑口が塞がれてしまった。その後は草木が生い茂り、坑口があった場所はわからなくなっていた。
●82年ぶりに「坑口」が発見されて潜水調査が始まった
戦後の1976年、高校教諭だった山口武信さんが『宇部地方史研究』という冊子に『炭鉱における非常ーー昭和一七年長生炭鉱災害に関するノート』を寄稿した。なお、「非常」は炭鉱用語で「事故」、「水非常」は水没事故のことを指す。
これを機に注目が集まり、1991年、山口さんを代表として「刻む会」が発足した。
刻む会は、日本と韓国の遺族を探し当て、2013年2月には床波海岸近くに追悼碑を建立。すると遺族から「遺骨発掘が最大の願いだ」という声があがり、2014年頃から坑口を見つけることに着手した。
コロナ禍をはさんで約10年が経過した2024年9月、ついに坑口を発見した。翌10月には早くも、海から突き出ているピーヤ(炭鉱の排気・排水塔)と坑口からの潜水調査が始まった。
今では調査になくてはならない存在になった伊左治さんは、かねてより長生炭鉱のことは知っていたものの、それまで関わりはなかったが、刻む会のYoutube動画(2023年12月開催の集会)を見たことがきっかけで、自分からアプローチしたという。
「これは誰かがやらないといけないと思いました。図面を見ると、一般的なダイバーでは到達できないエリアへの潜水が必要になる。
だからこれまで名乗り出る人がいなかったし、候補も見つからなかったのだろうと思い、自分から連絡しました」
●「人との繋がりが生まれないと楽しく感じないのかもしれない」
両親がダイビングが趣味だったことで、自身も12歳からダイビングを始めたが、最初に感じたのは面白さではなく「水中で何もしないと暇だな」。水に浮いてる感覚や、魚を見ることにも興味を持てなかったという。
「実はダイビング自体は、今でも全然好きじゃないんです。僕にとって、ダイビングは『探検の手段』であり、目的を達成するための手段です。
僕が好きなのは、潜水を通して、そこにいる人たちとのコミュニティを築いたり、新たな価値を見つけることで、誰かの役に立つことです。
今まで誰も発見できなかったものを見つけるのは面白いし、社会的意義があることができるかもしれない。
それと極端な言い方になりますが、何かに真剣に取り組むなら、自分が一番手でやれるものをやりたいと常々考えていて。
潜水による探検に取り組んでいるのは、とくに日本ではやる人がほぼいなかったので、自分が一番手でやれるというのも理由の一つです」
なぜ一番手になりたいのか――。それは長生炭鉱のように調査が困難な場においては、その道のエキスパートを呼びたいと誰もが考えるからだ。◯◯と言えば△△といったように誰もが真っ先に思い浮かべる存在になりたいと思っているという。
「一番に想起される存在になると、情報や技術が集まりますよね。すると気持ちがワクワクするだけではなく、自分の能力もあがっていく。
僕は大学の時に部活でドラムをやっていたんですけど、ドラムは他にできる人が少なかったので「じゃあ伊左治に頼もう」ということが多くて。
それによって人の輪も広がっていくから、さらに難しいチャレンジができるようになるんです。僕は自分だけの実力を磨くだけではなく、人との繋がりが生まれないと楽しく感じないのかもしれません」
●エキスパートでも事前トレーニングは欠かせない
3回の調査を通して、坑口から200メートル程度進んだ周辺に構造物が散乱していて、現時点では先に進むのは困難なこと、側道に抜ける道があると言われているが見つかっていないこと、碍子や背負い籠など、人が使っていたものが今も残されていること――などがわかった。
しかし、遺骨は現時点でもまだ見つかっていない。坑口が見つかれば程なくして遺骨も見つかると思っていたが、難しい道のりのようだ。
「僕は簡単か難しいかという視点では、この潜水調査を捉えていません。遺骨がある場所までの経路が確保できれば、あとは僕の潜水の問題です。
だから簡単とか難しいとかではなく、0か100かの話で、0でないなら辿り着くまでのプロセスが多いか少ないかだけなのです。
工程が増えればかかる費用も増えますが、その工程を一つひとつ組み立てて遂行していけば、遺骨に到達するはずだと思っています」 60キロ以上にもなる器材を身に着け、長生炭鉱のような閉鎖空間で潜水調査ができるのは、現在のところ、日本では伊左治さんくらいだ。
ただ、そんな彼でも事前のトレーニングは欠かせない。エキスパートであることは努力なしでは成立しないようだ。
「まず長生炭鉱は、比較的水深が深くて、30メートル以上あります。水没地点までも距離があって、かつ、視界が5メートルから10メートル程度しかない。そうなると進むのに時間がかかるので、事故で崩壊したという1キロ先まで到達しようとするなら潜水時間は4、5時間が想定されます。
僕は視界が悪い環境に、日本人の中では一番といってよいほど慣れている自負があります。ただ、視界がないままで5時間にわたる調査というのはしたことがありません。
なので、長生炭鉱の本格的な調査に入る前に洞窟の中でライトを切って目隠しをした状態で、5時間のダイビングをするというトレーニングをしました。
トレーニングをしていないと、実際にその状況になったときに何が起こるか想定できないし、僕自身がそれほどの長時間、視界がきかないストレスに耐えられるかもわからない。でも一度経験すれば、わかるようになります。
現時点で通過できない場所が通れるようになり、約1キロ先の崩壊地点まで進めるようになったら、実環境に近いタイの水没鉱山でトレーニングをしてから挑みたいと考えています」
●注目が集まることで「遺骨発掘」の糸口に
一企業で起きた事故であるが、国策によって危険な状況下で増産を強いられたことで、植民地下の朝鮮半島から連れて来られた人たちが多数犠牲になった。だから、遺骨発掘は日本の戦争責任を追及するうえでも欠かせない――。
そんな声もあがる中、伊左治さんはあくまで「遺骨が見つからないのは、遺族にとって悲しいこと。僕がお手伝いすることで遺骨の回収そのものにつながるし、悲しみがやすらぎにつながるのではないかという取り組みで始めた」と戦争責任の追及からは一線を引いている。
「『政府に思うことはないのか』、逆に『左翼の味方なのか』みたいなことは、よく質問されます。でも、この潜水調査は、僕がやらなければ誰もできない。だったらやるべきだから始めたことで、僕は基本的にはそれだけです。
まずは遺骨を見つけることに取り組むので、実際に遺骨の収容に成功したら、次はどうするか、責任は誰にあるのかについては、それを問いたい方にお任せします。
周りがどんなことを言おうと、潜水している間は、安全のためには何をすべきか、ということしか考えていませんから、誰かの意見で水中での自分の行動が変わることはありません。
あとは調査を続けるためには、関心を持ち続けてもらえることが重要なので、どんな意味合いであっても、長生炭鉱に注目が集まるのは悪いことではないと思っています」
次の潜水調査は6月18日と19日を予定している。その前に1カ月間、メキシコでケープダイビングの講習指導と、次回の潜水調査に向けてのトレーニングをする予定になっている。
焦らず取り組むことで「まずは遺骨を見つけること」という目標にまっすぐ向かっていけると確信している。
「長生炭鉱で使っている器材ですが、まだ80時間程度しか使用していないので、もう少し使い慣れておきたくて。だから同じ器材を使っての潜水講習を20日程度受けることにしています。残りの10日で、僕がゲストに向けての指導をする予定です。
僕も初めての場所ではちょっと無理しそうになりますが、焦ると緊張するし、ストレスもかかるんですよね。でも、そこで無理せず翌日再チャレンジすると、簡単に行けるということもよくあります。日を改めるとそれまで見えなかったものが見えたりするので、焦るメリットってないんですよね。
遺骨を見つけて、まず一つ持ち帰る。あるいは、人による潜水では発掘は無理、という結論を出す。そこまでが自分のミッションだと思っています。本格的な遺骨回収も潜水しておこなうなら、僕が参加できたらうれしいけれど、よりベストな選択があるなら、そこは委ねたいと思います」
