【社会】最悪「廃業」に追い込まれる病院が続出する…「マイナ保険証のオンライン資格確認」義務化で起きる恐ろしいこと

【社会】最悪「廃業」に追い込まれる病院が続出する…「マイナ保険証のオンライン資格確認」義務化で起きる恐ろしいこと

マイナ保険証のオンライン資格確認義務化は、医療サービスの効率化を目指している一方で、既存の病院の運営に過度な負担を与えかねません。この制度の導入は、患者の利便性向上には寄与するものの、対応が遅れた病院が廃業に追い込まれるといった事態も考えられます。

11月28日、医療業界にとって重要な判決が東京地裁であった。マイナ保険証などによる「オンライン資格確認」が医療機関に義務付けられたことをめぐり医師1415人が集団提訴した裁判で、東京地裁は原告の請求を棄却した。原告の1人である医師の木村知さんは「病院の負担が大きくなり、最悪『廃業』に追い込まれる医療機関が続出すれば、患者のアクセス権にも影響がおよぶ」と訴える――。

■この裁判は「マイナ保険証の廃止要求」ではない

これは「マイナ保険証の廃止を求める裁判」ではない。まずはじめに、このことをご理解いただいたうえで、以下お読みいただきたい。

その裁判とは、保険医療機関の医師・歯科医1415人が原告となって国を訴えた「オンライン資格確認義務不存在確認等請求訴訟」のことである。これは厚生労働省の省令によって保険医療機関にマイナ保険証等による「オンライン資格確認」が義務づけられたことにたいして、その義務がないことの確認を求めた訴訟である。

11月28日、この訴訟に東京地裁(岡田幸人裁判長)が下した判決は「原告らの請求を棄却する」というものであった。この報道がネットにあがったとき、1415人の1人である私はX(旧Twitter)にすぐさま記事を引用して投稿した。

マイナ関連の裁判とあってか、このポストには大きな反響をいただいたが、その反応のなかには、この裁判のことを「マイナ保険証に反対の医師らが、マイナ保険証の廃止を国に求めたもの」と誤解していると思われる意見もあった。

■「オンライン資格確認」とはなにか?

冒頭にも書いたとおり、これは違う。私をふくめたこの1415人の医師らのなかには、私と同様にマイナ保険証そのものに反対の意見を持っている人も少なからずいるであろうし、マイナ保険証を「実質義務化」しようとする政策ももちろん非常に問題だが、今回の訴訟には、それ以上に重要な論点があるのだ。

本稿でこの裁判をここに取り上げたのは、この判決のはらんでいる重要な問題点を、ぜひ読者の皆さんに理解していただきたいからである。これはけっして「医療現場」や「医療従事者」そして「患者さん」だけに影響をあたえる問題ではない。この国に住まうすべての人に、今後大きな不利益をもたらしうる判決であるということ、その危機感を共有してほしいのだ。

まず「オンライン資格確認」とはなにかということから簡単に説明しておこう。これは「医療機関や薬局の窓口で、保険証利用登録済みのマイナンバーカードや従来の健康保険証の記号番号等を利用して、患者さんの資格情報(健康保険の種類や有効期限、自己負担限度額の情報など)をオンラインで確認すること」である。つまり、この「オンライン資格確認」自体は、マイナ保険証の運用に限定したものではない。

■法律ではないのに、なぜ強制力があるのか

この「オンライン資格確認」が2023年4月から保険医療機関、薬局で原則義務化された。その根拠とされたのが、「経済財政運営と改革の基本方針2022」(令和4年6月7日閣議決定)のもと改正された、厚生労働省令の療養担当規則である。

・患者がマイナンバーカードを健康保険証として利用するオンライン資格確認による確認を求めた場合は、オンライン資格確認によって受給資格の確認を行わなければならない。
・患者がマイナンバーカードを健康保険証として利用するオンライン資格確認による確認を求めた場合に対応できるよう、あらかじめ必要な体制を整備しなければならない。

上記のような「義務」が保険医療機関・薬局に課されることになったのである。

今回の原告の主張とは、端的にいえば、この「義務化」の法的根拠とプロセスに看過できない瑕疵があるというものだ。

具体的になにが問題かと言うと、この「義務化」の法的根拠とされているものが、国会が制定した「法律」ではなく、それよりも下位の療養担当規則(厚生労働省令)であるという点だ。

そして下位の法令とはいえ、この療養担当規則に違反しているとされた医療機関は、保険医療機関の指定取り消しや保険医登録の取り消しといった、保険医療機関としての「死刑宣告」が下される可能性もある。

■原告は「憲法41条に違反する」と主張

そもそも国民に義務を課すにあたっては、国民により選挙された代表機関である国会が審議・議決して定めた「法律」を根拠とする必要がある。にもかかわらず、これによらない所管大臣による「省令」によって国民に義務を課すのは、国会が国権の最高機関であり唯一の立法機関であると規定する憲法41条に違反するではないか、という原告の主張は、私には至極まっとうに思える。

一方、「法律」によって「個別・具体的な委任」がなされた場合には、省令等の下位規範で、その委任の範囲内でルールを決めることが過去の最高裁判例で認められてはいる。今回、被告となった国も、上位の法律である健康保険法70条1項を、下位の省令に委任できる根拠とした。

【参考】第70条 保険医療機関又は保険薬局は、当該保険医療機関において診療に従事する保険医又は当該保険薬局において調剤に従事する保険薬剤師に、第72条第1項の厚生労働省令で定めるところにより、診療又は調剤に当たらせるほか、厚生労働省令で定めるところにより、療養の給付を担当しなければならない。

■システムを導入できなければ最悪「廃業」

これは現場の医師から言わせれば非常におかしな話である。同法が省令に委任しているのはあくまでも「療養の給付」。これは医師側が患者さんにたいしておこなう診療等の医療サービスを指すものであって、患者さんの「資格確認」すなわち療養の給付を受けるための「方法」とは、まったく別物だ。

だが判決は、国の主張をそのままなぞって、健康保険法70条1項が、療養の給付という医療サービスそのものに限定せず、それにあたって「遵守することが必要な事項」すなわち「被保険者の資格確認」についても省令に委任することは自然であるとしたのである。

またこの「必要な事項」の決め方についても「時宜を得た柔軟な検討が必要」であるため「必ずしも国会での審議になじむものとはいえ」ないから、「厚生労働大臣の専門技術的裁量に一定程度委ねているものと解するのが相当」とした。

つまりすべての保険医療機関に「オンライン資格確認」の体制整備をするよう「義務」を課すという「大ごと」であっても、わざわざ国会で審議した法律によらず、厚生労働大臣の裁量で決めても良かろうと判断したのである。

このシステム導入には、当然ながら費用がかかる。とはいえ「義務化」となれば、費用負担が理由だろうと省令に違反したとされた場合、最悪「廃業」に追い込まれる。

■原告の主張に対し、東京地裁の判決は…

原告は費用負担を理由に廃業した実例を挙げるとともに、医療機関が廃業に追い込まれる現実的なおそれが増大すれば、患者さんの医療へのアクセス権にも大きな影響をおよぼし得るということも訴えたが、これについても判決では、国も医療機関に補助金は出しており、7割の医療機関はこの補助の範囲で体制整備がおこなえているから、「事業継続を困難にするようなものに相当すると直ちにいうことはできない」との認識を示した。

さらに「オンライン資格確認」の導入にともなって発生したトラブルについても、「被告(国)もこれを減少させ、患者及び医療機関等に不利益が及ばないような取組をしているから」トラブルの発生をもって「直ちにオンライン資格確認による利点等が否定されるものともいえない」と、徹頭徹尾、国を擁護する判決を下したのであった。

もちろん私も法律家ではないから、この判決について専門的な反駁(はんばく)はできない。しかし、なんらかの義務や権利の制限を国民(法人を含む)にたいして課すのであれば、それは国権の最高機関である国会で審議するという、真っ当なプロセスを経て制定された「法律」によって規定されねばならない、ということくらいは理解できる。

■私たちの生活に関わる大事なことなのに

この数年、私たちの生活や国にとって重要な方向性を決める事項であっても、なにかと「閣議決定」という一部の人間のみが密室で決めてしまう手法が、ときの政権によって多用されていると感じるのは、私ばかりではあるまい。

そんな政権を忖度しているのか、メディアまでも「閣議決定」があたかも国の最高意思決定の場であるかのような報じ方をする現状に、大きな違和感をおぼえている方も少なくないのではなかろうか。

そして司法。建前では三権分立となっているが、今回の判決にかぎらず、ときの政権におもねる判決があまりにも目につき過ぎではあるまいか。司法がこの国に生きる人たちの権利以上に国の主張を擁護するなら、私たちはどうやってわが身を守れば良いのだろうか。

本件とは直接関係ないが、お隣りの韓国では尹錫悦大統領が突然「非常戒厳」を宣言するという暴挙に出た。大統領というたった1人の人間が、その時々の恣意的な判断で、すべての国民の権利を厳しく制限できてしまうことに、底知れぬ恐怖をおぼえた方もいるだろう。

■気づかぬ間に「義務と制約」が増えている

この国に生きる人たちにたいする「義務を課す」「権利を制限する」といった権力の行使は、その必要性と重要性、緊急性、そしてほかに手段がないといったことなどを慎重に議論したうえで、「義務と制約」の影響を受けるすべての人たちに十二分に説明し、理解を得て、しかるべきプロセスを経て制定された法律を根拠とすべきであるし、法制化されたのちも、その行使は必要最小限であるべきだ。

今回の「義務化」は、尹大統領の非常戒厳に比べれば、極めて小さな権力の行使かもしれない。「医療機関には負担かもしれないが、私たちには関係ないや」、さらに「対応できない医療機関はつぶれて当然」と思われる方もいるだろう。

だがこうした小さな小さな蟻の一穴を「私には無関係」などと見過ごしているうちに、気づいたときには、真っ当な議論とプロセスを無視したごく少数の権力者たちの気まぐれな判断だけで、義務と制約が課され、がんじがらめにされてしまっているかもしれない。そうなってからでは、もう手遅れなのだ。

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木村 知(きむら・とも)
医師
1968年生まれ。医師。10年間、外科医として大学病院などに勤務した後、現在は在宅医療を中心に、多くの患者さんの診療、看取りを行っている。加えて臨床研修医指導にも従事し、後進の育成も手掛けている。医療者ならではの視点で、時事問題、政治問題についても積極的に発信。新聞・週刊誌にも多数のコメントを提供している。2024年3月8日、角川新書より最新刊『大往生の作法 在宅医だからわかった人生最終コーナーの歩き方』発刊。医学博士、臨床研修指導医、2級ファイナンシャル・プランニング技能士

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※写真はイメージです – 写真=iStock.com/Pornpak Khunatorn

(出典 news.nicovideo.jp)

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