【産経新聞】1・17から我々は何を学んだのか 「善人」宰相では危機は乗り切れぬ

【産経新聞】1・17から我々は何を学んだのか 「善人」宰相では危機は乗り切れぬ

1月17日に起こった出来事について、どのように私たちが学ぶべきかを考察しています。

1 おっさん友の会 ★ :2025/01/17(金) 11:30:48.11 ID:mEAggggh9

あれから30年も経(た)ってしまった。

平成7年1月17日午前8時過ぎ、今はなき社会党担当だった私は国会内の記者クラブにいた。この日は、社会党出身の首相、村山富市に反旗を翻した同党幹部の山花貞夫らが脱党し、「新党」を旗揚げする予定日で、珍しく早出していたのだ。

そこへ「新党」幹部に擬せられていた参院議員、本岡昭次が「どないなっとる?」とひょっこり顔を見せた。すでにテレビやラジオは、「神戸方面で大きな地震があった」と報じてはいたが、どの程度の被害が出たかさっぱりわからない。

神戸に生まれ育った私も実家に電話を何度もかけたが、つながらない。兵庫県選出の本岡も同様で、新聞社やテレビ局なら詳しいことがわかるだろうと顔を出したらしい。

だが、現地の支局と連絡がとれた者は皆無。彼が引き揚げようとしたちょうど、そのとき。NHKのヘリが高速道路が倒壊しているさまを生中継した。ときは午前8時24分。

「こりゃ帰らんといかんな」

本岡はこうつぶやいてクラブを出ていき、「新党」旗揚げは中止になった。

●非常対策本部は4時間後に
阪神大震災から私が得た教訓は、政権基盤が盤石で、経験を積んだリーダーシップのある政治家(首相)が国のかじ取りをしないと、国家的危機は乗り切れない、というシンプルなものだ。ときの首相は、政治家には珍しい善人だったが、身内の反乱にあい、政権基盤は脆弱(ぜいじゃく)だった。

しかも村山は大臣経験もなかった。何しろ社会党出身の首相は、終戦直後の片山哲以来で、本人はもとより党にも緊急時に政府を動*ノウハウはまったくなかった。

地震発生は午前5時46分だったが、政府が「非常災害対策本部」を設置したのは、発災から4時間以上も経過した午前10時になってから。

姫路の駐屯地から陸上自衛隊が本格出動に踏み切ったのも午前10時過ぎ。神戸へ向かった部隊は、国道で大渋滞に巻き込まれてしまった。

首相官邸の初動が遅れたがために救える命が救えなかった、という批判は決して的外れではない。

産経新聞 2025/1/17 10:00
https://www.sankei.com/article/20250117-IWZC4LTMKFOSXOVKJ4PEZUH4KI/

続きを読む

続きを見る(外部サイト)