【社会】再び盗まれる可能性がある…韓国窃盗団が長崎対馬から盗んだ13億円「菩薩坐像」返還を手放しで喜べない理由
【社会】再び盗まれる可能性がある…韓国窃盗団が長崎対馬から盗んだ13億円「菩薩坐像」返還を手放しで喜べない理由
■14世紀につくられた高さ約50cmの観音菩薩坐像の「帰国」
韓国の窃盗団によって長崎県の対馬の観音寺から盗まれた仏像の返還が、13年ぶりに決着しそうだ。「元は韓国の寺にあったもの」として韓国の寺が所有権を主張。韓国の最高裁は2023(令和5)年、最終的な所有権は観音寺にあると認定したが、返還を渋っていた。筆者は昨年6月、対馬を訪れ、この寺を取材している。仏像は今年5月まで韓国の寺で「100日間法要」が営まれた後に、対馬に帰る予定だ。
「両国の多くの人の手助けによって今日を迎えることができた。日韓が助け合ってやっていける国家間になりたいと思う」
返還手続きのため先月、韓国の大田(テジョン)を訪れていた観音寺の田中節孝元住職は、集まった関係者の前でこう感慨深げに述べた。仏像はいったん、「本来の所有権」を主張する韓国の浮石寺に渡され、100日間の法要を実施した上で、5月中には対馬の観音寺に戻る予定だ。
騒動の発端は、2012(平成24)年10月8日のことであった。観音寺を含めた複数の寺社で連続盗難が起きた。まず、海神神社(対馬市市峰町木坂)において宝物館の鍵が壊され、国の重要文化財である銅造如来立像(高さ約38cm)が盗まれた。
同像は、奈良や京都の仏像に見るような端正な造形とは異なり、頭部が大きく、どこか人間味ある佇まいが特徴だ。8世紀に新羅から伝わったとみられる。螺髪や衣紋の表現は実に緻密。文化庁の文化遺産オンラインサイトでは「秀抜の一作と賞することができる」と評している。
韓国人窃盗団は海神神社で犯行に及んだ後、さらに島内の寺社を荒らし回った。海神神社から南に5kmほど離れた観音寺(同市豊玉町小綱)で、銅像の観音菩薩坐像(長崎県指定有形文化財、14世紀、高さ約50cm)が盗まれた。
筆者が対馬を訪れ取材したのが昨年6月。小綱地区は、49世帯(2022年)の小さな漁村だった。観音寺に隣接して村の鎮守社があり、観音寺同様に無住である。駐在所もなく、集落は常にひっそりとしている。観音寺は一見、集会場のような佇まい。僧侶の居住するための庫裡もない。
同像は髪を頭頂部で結んだ姿が特徴だ。体内からは結縁文が見つかっている。結縁文には、高麗国の浮石寺において、戒真と呼ばれる僧侶32人の発願によって1330(天暦3)年に製作された旨が書かれていた。そのことから、浮石寺に安置されていたものが、後に海を渡って観音寺に移されたと考えられる。
続いて犯人は、対馬南部にある多久頭魂神社(同市厳原町豆酘)で、県指定文化財の大蔵経を盗んだ。3つの寺社で窃盗を繰り返した輩は、対馬を離れて博多に入り、船で釜山港に戻ったとされる。
■観音菩薩坐像は約150億ウォン(約13億円)の値がつけられた
対馬には、100カ寺以上の寺が存在する。圧倒的に曹洞宗寺院が多い。しかし、半数以上は観音寺のように無住という。人口2万7000人の島にしては寺の数が多すぎ、それぞれに住職を置けないからだ。これは対馬のリアス式になった入り江ごとに小集落を形成し、江戸時代にその集落ごとに「ムラの菩提寺」が建てられたことに由来する。
近年は島の過疎化が進み、1カ寺あたりの檀家数がさらに減少している。ムラの高齢化と人口減少によって、監視の目が行き届かなくなり、寺宝の盗難を未然に防ぐことが難しくなっているのだ。
2013(平成25)年1月、韓国警察は仏像を売りさばこうとした窃盗団を検挙。盗品を押収した。犯人は対馬での実行役4人と、韓国国内での支援役4人を含む総勢8人であった。対馬には3度ほど下見に訪れていたというから、周到に計画された犯罪といえる。
驚くことに観音寺の観音菩薩坐像は、およそ150億ウォン(約13億円)もの値がつけられていた。大蔵経については「神社周辺の山野に捨てた」と供述した。海神神社の如来像は、2015(平成27)年に日本に返還された。
ところが、観音寺の仏像については、結縁文に記された出所によって、思わぬ騒動へと発展する。そこに書かれていた浮石寺が「倭寇によって略奪されたものだ」として所有権を主張し始めたのだ。そして、韓国の大田(テジョン)地裁に提訴。仏像を保管していた韓国政府にたいして、“返還”を求めた。2017(平成29)年の一審では、浮石寺の主張が認められ、浮石寺に仏像を引き渡すよう命じた。観音寺は「蚊帳の外」にされてしまった。
高裁では一転して、地裁判決が取り消された。民法上の取得事項にあたる20年を経過して、観音寺が仏像を所有してきていることなどが理由である。そして、韓国の最高裁にあたる大法院は2023(令和5)年10月、最終的な所有権は観音寺にあると認定した。なのに、その後1年以上にわたって、韓国政府から日本側への返還の通知はなされてこなかった。
観音寺の前住職で、観音寺を管理する西山寺(厳原町)庵主、田中節孝さんは憤っていた。
「韓国からすれば倭寇の時代の遺恨があって『取り戻した』感覚でいるのだろうが、これは単なる窃盗事件だ。もはや謝罪はいらない。最高裁で観音寺の所有権が認められたのだから、宅配便でもよいので、一日も早く寺に戻してもらいたい」
田中さんは「歴史的にみても、倭寇が奪ったというのは違和感がある」と話す。なぜなら、観音菩薩坐像が観音寺にもたらされたと考えられる16世紀頃は、朝鮮半島における「廃仏毀釈」があった時期とされるからだ。
高麗王朝は仏教を庇護したが、朝鮮王朝時代へと切り替わると儒教を国教とし、仏教を迫害した。多数の仏像も破壊した。そのような情勢の中で、合法的に対馬に流れてきたというのが、観音寺側の見解である。実際、対馬には朝鮮半島から海を渡って逃がされてきた渡来仏が80体以上、存在するという。
■対馬の仏像が窃盗されやすい理由
対馬と朝鮮半島との距離の近さが、こうした窃盗リスクを高めているともいえる。
朝鮮半島まで直線距離にして、およそ50km足らず。空気の澄んだ日の夜には、釜山を走る車のライトを捉えることができるほどだ。ゆえに対馬と朝鮮半島との関係は、今も昔も深い。島の玄関口は、かつて城下町として栄えた厳原という港町だ。そこここの標識には必ずと言ってよいほど、ハングル文字が併記され、出会う観光客の大半が韓国人である。
釜山港から対馬へのフェリー航路で結ばれてから、韓国人旅行客は増加の一途を辿ってきた。2019(令和元)年には41万人を記録。その後、日韓関係の悪化で運休が続いていたが、コロナ禍が明けた2023(令和5)年には12万人が対馬を訪れている。
厳原の街には、免税店やビジネスホテルチェーンが立ち並ぶ。その光景を見るだけでも、対馬と朝鮮半島との関係の深さを窺い知ることができる。島の経済は、韓国マネーが支えている。
がしかし、島の人は概して「韓国人のマナーの悪さ」を口にする。さらに観音寺の窃盗事件後の韓国側の対応も相まって、対馬の人の韓国に対する感情は必ずしも好意的ではない。
事件と裁判が起きたタイミングも悪かった。竹島問題や元慰安婦問題に加え、2018(平成30)年10月、いわゆる元徴用工訴訟で大法院が日本製鉄に賠償を命じる判決を下していた。日韓関係は最悪の状態を迎えていた。同年12月には能登半島沖で海上自衛隊機が韓国の駆逐艦からレーダー照射を受け、日本政府が抗議。対馬―釜山の国際航路も関係悪化によって休止となっていた。
それが今年に入って大きな動きをみせた。その背景には今年、日韓国交正常化60年の節目を迎えるタイミングがありそうだ。韓国側にとっては、日韓間のしこりを解消しておきたい思惑があり、日韓双方の議員連盟が調整を進めていた。
ただ、このような経緯があるだけに、仏像が観音寺に戻ってくるまでは一件落着とはいかない。仮に観音寺に仏像が再安置されたとしてもまた、いつ何時、盗まれてしまうかわからない。離島の寺院における寺宝保護対策が、課題だ。
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浄土宗僧侶/ジャーナリスト
1974年生まれ。成城大学卒業。新聞記者、経済誌記者などを経て独立。「現代社会と宗教」をテーマに取材、発信を続ける。著書に『寺院消滅』(日経BP)、『仏教抹殺』(文春新書)近著に『仏教の大東亜戦争』(文春新書)、『お寺の日本地図 名刹古刹でめぐる47都道府県』(文春新書)。浄土宗正覚寺住職、大正大学招聘教授、佛教大学・東京農業大学非常勤講師、(一社)良いお寺研究会代表理事、(公財)全日本仏教会広報委員など。
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