【社会】必要なのは「道徳の授業」ではない…「みんなで仲良くは逆効果」日本の学校からいじめがなくならない根本原因

【社会】必要なのは「道徳の授業」ではない…「みんなで仲良くは逆効果」日本の学校からいじめがなくならない根本原因

この記事は、日本の学校におけるいじめ問題の根本原因を鋭く指摘しています。人間関係の構築において、ただ「仲良くする」というアプローチが逆効果になることもあるという観点は特に共感を覚えました。いじめをなくすためには、表面的な道徳教育ではなく、個々の生徒が自分自身や他者を理解し、尊重し合うことが重要です。

学校のいじめ問題は、なぜ無くならないのか。東京都立大学大学院法学政治学研究科の木村草太教授は「いじめ防止対策推進法が成立してから10年以上が経過した。成果も出ているが、現在の対策には2つの要素が欠けている」という――。(第1回)

※本稿は、木村草太『憲法の学校 親権、校則、いじめ、PTA――「子どものため」を考える』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

■人が集まれば、いじめは起きる

(前略)コミュニケーション操作系のいじめ――たとえば、シカトやクスクス笑いに対しては、警察は何もできません。そこで生活空間自体を変えて、コミュニケーション操作系のいじめを無意味化することを同時に行います。学級制度を廃止し、タコ足配線的にいろんなタイプの人と自由につきあえるようにする。自分をシカトしたりクスクス笑いをする人間とは距離を置くことができ、もっと楽しい人間関係を営める友だちと距離を縮められるようにする。

――神保哲生(じんぼうてつお)・宮台真司(みやだいしんじ)他『教育をめぐる虚構と真実』(内藤朝雄発言)

いじめ防止対策推進法の成立から10年以上が経過した。いじめは、多数の人が集まる空間であれば、常に生じうる問題だ。それは、古典文学を読んでいても明らかだろう。

もっとも、日本の学校現場でいじめ問題が真剣に意識されるようになったのは、1980年代とされる。1985年には、福島県いわき市で暴力・恐喝を伴う苛烈ないじめの被害者(中学3年生)が自死した。また、1986年には、東京都中野区のいわゆる葬式ごっこ事件が起きた。学校現場でも学術研究の世界でもいじめ問題への関心は高まっているものの、苛烈ないじめは後を絶たず、2011年には、大津市での中学生の自死と学校・教育委員会の不適切な対応が重大な問題となった。

この事件をきっかけに、2012年、野田佳彦(のだよしひこ)内閣の下、国会でもいじめ対策立法の準備が進められ、第二次安倍晋三(あべしんぞう)内閣への政権交代を挟み、2013年6月21日に「いじめ防止対策推進法」として成立した。今回は、その内容を整理し、気になる点を指摘したい。

■「犯罪型」と「コミュニケーション操作型」がある

いじめ防止対策推進法の目的は、第1条に掲げられている。具体的には、「いじめを受けた児童等の教育を受ける権利」を守り、「心身の健全な成長及び人格の形成」を支え、「生命又は身体に重大な危険」が生じることを防止することで、「児童等の尊厳を保持する」ことが目的だ。

では、この法律が防止しようとする「いじめ」は、どう定義されるのだろうか。大きく分けると、いじめには①犯罪型と②コミュニケーション操作型とがある。

①犯罪型のいじめとは、暴行・傷害、恐喝・強盗、脅迫、名誉棄損といった刑法犯に該当する行為だ。刑法犯である以上、重大な法益侵害であるという社会的な合意があり、その解決には、警察や司法が力を発揮しうる。

他方、②コミュニケーション操作型とは、からかい言葉や奇妙なあだ名呼び、些細(ささい)な悪口など、被害者を傷つけるコミュニケーションを指す。こちらは、犯罪や不法行為にはならないことも多いが、殴られるより辛(つら)い経験になることもあろう。

概念の上では①と②は切断できるが、実際のいじめの現場では両者が融合する事例も多い。また、①犯罪には明確な定義があるが、②については、被害者がどんなことに傷つくかは文脈や状況によるので、明確な類型を作るのは困難だ。例えば、同じ「呼び捨て」でも、全く問題にならない場合と加害行為になる場合とがあり、呼び捨ては一律にいじめとする/しないなどというルールは作れない。

■法律上のいじめの定義は「非常に広い」

そこで、いじめ防止対策推進法は、「児童等に対して、当該児童等が在籍する学校に在籍している等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているもの」(対策法2条)と非常に広い定義をした。

同じ学校に在籍すれば「一定の人的関係」が必然的に生じ、人が何かをすれば周囲に「心理的又は物理的な影響を与える」から、同じ学校に通う児童等の行為から「心身の苦痛を感じてい」れば、それだけでいじめと認定できる。

この定義を前提にすると、例えば、生徒Aが登校するだけで生徒Bが不愉快に感じる状況では、Aが登校するだけでBにいじめをしたことになる。また、お互い嫌いあっていれば、双方にいじめが成立する。いささか極端な感じもするが、ここまで広く定義しなければ、対処が必要ないじめを取りこぼしてしまうという深慮に基づく。

いじめの定義が非常に広いため、当然のことながら、第2条の「いじめ」に該当するというだけでは、損害賠償や差止の対象にはならない。第4条が「児童等は、いじめを行ってはならない」と規定するのは、あくまで罰則のない訓示規定だ。

■「警察に通報か」「学校で対処か」という根拠

この法律の主な関心は、文部科学大臣・自治体・学校らに「いじめ防止基本方針」の策定を義務付け(対策法11、12、13条)、学校におけるいじめの防止・早期発見のための対策を行うよう求めるところにある(対策法15、16条)。学校は、いじめが起きてしまった段階では、次のような措置をとる。

第一に、①犯罪型のいじめについては、学校だけで対処せずに、適切に警察と連携すべきことが指摘されてきた。第23条6項は、犯罪行為に対しては所轄警察署に適切に通報し、連携して対応すべきことを定めている。

第二に、犯罪に至らない②コミュニケーション操作型のいじめの場合も、いじめの相談や通報を受けた場合には、学校は「速やかに、当該児童等に係るいじめの事実の有無の確認を行うための措置」をとることを求められる(対策法23条2項)。

いじめの事実が認定された場合は「いじめをやめさせ、及びその再発を防止するため、当該学校の複数の教職員によって、心理、福祉等に関する専門的な知識を有する者の協力を得つつ、いじめを受けた児童等又はその保護者に対する支援及びいじめを行った児童等に対する指導又はその保護者に対する助言を継続的に行う」とされる(対策法23条3項)。

ここで重要なのは、担任だけに抱え込ませず、「複数の」教職員が関与すること、専門家の協力を得ること、指導は「継続的」に行うことだ。特にコミュニケーション操作型のいじめは、長期にわたる人間関係の調整が必要なため、対応の「継続」性は極めて重要だろう。

■いじめアンケートは“対策法”の成果

いじめが生じた場合には、学校には必要な支援や措置をとることが求められ(対策法24条)、懲戒(学校教育法11条)や出席停止(学校教育法35条)の制度を適切に運用すべきとされる(対策法25、26条)。

さらに、いじめが自死など極めて深刻な結果をもたらすことから、「児童等の生命、心身又は財産に重大な被害が生じた疑い」または「児童等が相当の期間学校を欠席することを余儀なくされている疑い」がある場合には、いじめの「重大事態」と認定し、調査委員会を設置し、詳しい調査を行うことが求められる(対策法28条)。

近年、いじめ事件をめぐる報道で「調査委員会」の報告書や定期的に行われるいじめアンケートが紹介されたりしているが、これらはいずれも対策法の成果だ。

関連して、統計を見てみよう。対策法制定後、文部科学省は毎年、いじめの状況の統計を出している。それによれば、いじめの認知件数は2013年度の合計約20万件から右肩上がりに増え続け、2020年度に減少に転じるも、2021年度は再び増え、年間約61万件となっている。認知件数の増加は、必ずしもいじめの増加ではなく、学校がいじめの認知に努力した結果の可能性もある。また、2021年度に認知された約61万件のいじめのうち約49万件(80.1%)は、対策などにより解消している。

■現在の対策には“2つの要素”が欠けている

以上を踏まえて、いくつか指摘しておきたい。

第一に、対策法第15条が、いじめ防止対策の中心を「道徳教育」・「体験活動」としている点には疑問がある。そこには、「相手が嫌がっているからこそ、いじめをする」「相手をいかようにでも扱えるという支配関係こそが本質だ」という視点が欠けている。

まず、①犯罪型のいじめ対策に重要なのは、何が犯罪なのかという刑事法に関する知識、刑事法がどのような法益を守ろうとしているのかという法の理念の教育、犯罪から身を守る技術や、犯罪を告発する場合に必要な方法――警察への相談の仕方、金銭被害の記録、傷害時の診断書の確保法――だろう。これらの教育は、「道徳教育」ではなく、「法教育」だ。

次に、②コミュニケーション操作型のいじめは、本来は、人間関係の構築の自由によって解消すべきだ。一般に、自分の意思で離れられる相手であれば、クスクス笑いや悪口を言われても、深刻な事態にはならない。単に相手にしなければいいからだ。学校でコミュニケーション操作によるいじめが成立するのは、児童等がそこでの人間関係から逃れられず、支配が続くことによる。支配関係を終わらせるには、離脱の自由を確保することが不可欠だ。

■「道徳」ではなく「法的権利」の教育を

学校現場では、しばしば「クラスみんなで仲良くすること」を善とする価値観が提示され、「道徳教育」でも重視される。しかし、「クラスメイトを無視したり、関係を断ったりすることは良くないこと」と教えれば、クラスメイトから逃れたいと思う児童等を追い詰めることになる。

私たち一人ひとり、気の合わない人、話したくない人とは無理に関係を続けなくてよく、そのような人間関係構築の自由がある、ということをいじめ対策の中心に置くべきだろう。これも「道徳教育」ではなく、法的権利の教育だ。

また、人間関係構築の自由を中心に据えるなら、被害者が加害者から離れたいと申し出た場合、それを支援するメニューを強力にすべきだ。加害者との別室授業の措置(対策法23条4項)だけでなく、加害者の被害者への接近禁止命令のような措置を設けることも考えられる。

いじめをしてはいけない理由は、内容の曖昧(あいまい)な道徳ではなく、法的権利に根拠づけられるべきだ。その上で、仲良くしたい相手と仲良くするには、相手の尊厳や気持ちに配慮することが大切だと道徳を説けばよい。

■閉鎖空間でいじめを減らすには限界がある

第二に、いじめの定義が広いといっても、対策法の定義は「児童等」が行う行為に限定されている。苛烈ないじめでは、教員や保護者が加害者に加担することがある。例えば、保護者が自分の子を守るために、被害者について悪い評判を流したりする事例もある。

さらに、保護者の有志組織たるPTAも、非会員・未加入者の子どもをPTAが主催する学校施設を利用したイベントから排除したり、プレゼントの対象から外して、子どもを傷つけたりすることがある。

もちろん、対策法は、教員や保護者が児童等にいじめをさせない責務を負うと規定しているが、自らいじめに加担したり、PTAがいじめを行ったりする事例は強く意識されていない。学校内で活動する大人が、児童等に加害をした場合に対処する枠組みも作るべきだろう。

いじめ防止対策推進法は、10年の運用の中で、着実に成果を上げたといってよい。しかし、いじめの認知件数はいまだ膨大な数に上り、年間700件以上の重大事態も発生している。(編集部注:文部科学省の最新のまとめでは、2023年度は「重大事態」が1306件と過去最多となった。)

いじめ研究者として名高い内藤朝雄は、離脱が難しい閉鎖空間の設定は、苛烈ないじめを生じる危険を内包するという。閉鎖空間を維持したままでいじめを減らすには限界がある。だとすれば、いじめ対策は、「人間関係構築の自由をどうやって実現すべきか」という観点から考えていくべきだ。本書で指摘した問題以外にも、専門家は様々な課題を指摘している。まだまだやるべきことは多い。

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木村 草太(きむら・そうた)
東京都立大学大学院法学政治学研究科教授
1980年神奈川県生まれ。2003年東京大学法学部卒業、同大学法学政治学研究科助手を経て、現在、東京都立大学大学院法学政治学研究科教授。将棋ファンとしても知られ、2014年から東京都立大(当時は首都大学東京)にて法学系(法学部)特別講義「将棋で学ぶ法的思考・文書作成」を開講。将棋初心者の学生にも好評を博している。日本将棋連盟より三段免状を取得。著書に、『憲法』(東京大学出版会、2024年)、『憲法という希望』(講談社現代新書、2016年)、『自衛隊と憲法』(晶文社、2018年、増補版2022年)、『木村草太の憲法の新手4』(沖縄タイムス社、2023年)、『「差別」のしくみ』(朝日出版社、2023年)ほか多数。

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※写真はイメージです – 写真=iStock.com/paylessimages

(出典 news.nicovideo.jp)

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