【社会】だから日本の若者は結婚も子供も望まなくなった…子育て支援策は3倍に増えたのに出生数は30%も減った理由
【社会】だから日本の若者は結婚も子供も望まなくなった…子育て支援策は3倍に増えたのに出生数は30%も減った理由
■「予算増で少子化解決」は幻想である
子育て関係の予算を増やせば少子化は解決する。
そんなことをいまだに政府の少子化対策の会議体などで言い続けている有識者がいます。驚くべきことに、新聞やテレビなどのマスメディアがそれを何の検証もすることなく報道していたりもします。
日本の子育て関係予算(OECDなどの統計上)は家族関係政府支出と呼ばれているものなので、以降は家族関係政府支出と記しますが、この予算規模は、確かに北欧やフランスなどに比べれば日本は割合として低いことは事実です。しかし、この予算を増加すれば少子化が改善されるなどという因果も相関も存在しません。
この家族関係政府支出とは、児童手当や児童扶養手当、就学前保育等児童福祉サービス、育児休業給付、出産給付などが含まれ、高齢者向けの支出は別ですので、あくまで出産や子育てに関係するもののみとなります。
■「予算3倍」でも出生数は30%も減少
まず、日本においてのこの予算が過去どのように推移してきたかを確認しましょう。
国立社会保障・人口問題研究所(社人研)の社会保障費用統計によれば、2022年は11兆2086億円です。約6兆円といわれているこども家庭庁の予算よりも大きいのは、こども家庭庁以外に厚労省など他の管轄省庁の予算や地方自治体が独自で実施している予算も含まれるためです。そして決して少ない数字でもありません。
過去の推移を見れば、たとえば少子化担当大臣が設置される前の2006年は、3兆6763億円でしたから、実に3倍以上の増額となっています。しかしながら、出生数は同年比較で約30%減です。3倍の予算をかけても、増えるどころか30%も減少しているわけです。
この予算と出生数の推移を1980年からグラフ化すれば、残念ながらむしろ「予算が増えても出生数は減る」きわめて強い負の相関があります。
■なぜ多額の投資が逆効果になってしまうのか
もちろん、「予算を増やしたせいで出生数が減った」などとは言いませんが、予算だけがものすごい勢いで増えているのに子どもの数は減り続けているという事実を見ると、果たしてこれは少子化対策として機能しているのかと誰もが思うでしょう。これだけ取り出しても「予算増やせば少子化は解決」などと言う理屈は成立しません。
民間会社における事業プロジェクトにたとえるなら、予算をこれだけかけてかえって売り上げが減っているなら大失敗でしょう。プロジェクトそのものが設計ミスであり、即中止の上、リーダーはお役御免です。
勘違いしないでいただきたいのは、何も子育て支援を否定したいのではないということです。それはそれとして別軸でやるべきことですが、それを充実させたからといって少子化は改善されないということです。
そもそも子育て支援という言葉ですが、本当に支援になっているでしょうか?
予算として増えている以上、何かしらの支援は増えていることは事実です。しかし、それらは必ずしもすべてが直接的に子育て世帯に対して給付されるものではなく、就学前児童保育などサービスという形で提供されています。実態として、給付やサービスという形で子育て世帯は何かしらの恩恵を受けているはずですが、当の子育て世帯は、予算3倍と言われても「そんなに恩恵があるとは思えない」と感じているでしょう。
本稿では便宜上、直接的な支援である児童手当などの給付について取り上げたいと思います。
■片手で給付、もう片手で回収する巧妙さ
家計調査から2000年~2024年までの推移で、これら児童手当などの給付がどれくらいあったかを推測します。家計調査には児童手当給付の項目はありませんが、年金以外の、「その他の社会保障給付」がそれに充当します。厳密には、この中には児童手当に加えて、児童医療補助、出産手当も含みます。
世帯主が34歳以下と35~44歳の2人以上世帯において、この給付の推移がどうだったかに加えて、税金や社会保険料など収入から引かれる国民負担金額とそれらふたつの給付と負担の差し引き額がどう変化したかを示したものが図表2のグラフです。2000年を基準として、それぞれがどれくらい金額として増減したかを表しています。
■34歳以下の若い世帯も実質的に損している現実
まず、34歳以下の若い夫婦世帯で見ると、年齢的に子どもはまだ幼児期の世帯が多いと推測されますが、給付は2010年あたりを契機に一度大幅に増え、さらに2016年以降も増えるという二段階増加となっています。
しかし、それと若干タイミングが遅れて、税・社会保険料の負担額も同様に増加しており、2024年では給付と負担の金額はほぼイコールです。つまり、「給付はされるがその分そっくり税・社保料として持っていかれている」ということになります。差し引き金額で見ても、2020年以降は、給付よりも負担のほうが上回っている傾向です。
35~44歳世帯では、給付以上に負担のほうがより大きくなり、2024年では給付として月1.4万円増となっているものの、負担は2.4万円増で、給付分以上に負担額が増えていることがわかります。
■「なぜか生活が楽にならない」と感じる不思議
当然、税・社保料の中には子育て支援と無関係のものも含みますが、少なくとも「子育て支援だ。給付拡充だ」などとメリットのように思える言葉の裏で、子育て世帯が実際に享受できる金額はもろもろ合算するとさほど変わらないか、むしろ減らされていることになります。
決して皮肉ではなく、このあたりが官僚の優秀なところで、政治家が「子育て支援で給付します」と人気取りのようなことをやっても、その分は確実に回収する仕組みを同時に走らせていることです。
サラリーマンの方は給与明細を隅々まで見ている人ばかりではないでしょうし、「子育て支援で給付があった」と喜んだにもかかわらず「なんか生活は楽になっていないな」と感じるのはこういうカラクリがあるからです。
むしろ、子育て支援の名の下で、こうした給付がなされていても、実質世帯の手取りが増えていない状況こそが、少子化をさらに推進してしまうという逆効果を生みます。
そもそも生まれた子に対する手当が新たな出生を促進する効果はほとんどありません。その名の通り、子育て支援なのですから、「支給されたお金は新たな出生意欲に向けられるのではなく、今いる子の投資に向けられる」のは当然ですし、事実そうなっています。
■児童手当で「もう一人」と思うのはわずか18.6%
ちなみに、厚労省が2018年に実施した「児童手当等の使途に関する意識調査(対象は0歳から中学3年生までの子を持つ世帯・全国)」において、「児童手当の支給でもう一人子どもがほしいと思うか」という質問に対し、「あてはまる」と言う割合はわずか18.6%に過ぎず、「あてはまらない」とした割合は過半数の53.8%に達しています。
日本に限らず、この傾向は外国でも一緒で、膨大な子育て支援予算を投じたシンガポールでも韓国でも新たな出生効果は見られませんでした。
しかし、本当の問題は、支援という名で給付しておきながら、その後丸ごと回収され、プラスどころか、35歳以上世帯では大きなマイナスになっていることです。
たとえば、あなたが政府から1万円もらったとしましょう。それは確かにその瞬間はプラスです。しかし、その後政府から問答無用で1万円奪われます。こうした場合、人間は最初の1万円を得たことよりも、その後1万円を奪われたことだけが脳裏に焼き付きます。
一方、最初から何も与えられないが何も奪われない人がいたとしましょう。結果だけ見れば、両者ともに1円も得も損もしていない状態です。が、心理的には前者のほうが「損をした」と強く思います。
■結婚も出産もしない理由が詰まっている
このように「与えられるが奪われる」状態が継続すると、どうしても経済的に保守化します。現実には1円も損をしていなくても心理的に「今後も奪われる」と身構えるからです。そうすると、今ある資産を守ろうと貯蓄意識が過度に高まり、消費をしなくなります。損失回避の心理といいます。
これを出生行動意欲と結びつけると、子育て支援で給付をしても後できっちり回収するようなカラクリを使えば使うほど、多くの人が新たに出産する意欲を失っていくことになります。
子育て支援予算を増やしても、結局手取りが増えないのであれば、その予算増はまったく無意味なばかりか、余計なネガティブな心理を植え付けるだけでかえって逆効果となるというのはそういうことです。
「控除から給付へ」などという政党がありましたが、そのせいでこんな状態です。後で奪うなら最初から給付しなくてもいい。というより、こんなカラクリを使ってまで、国民から奪うことばかり考えている状況こそ見直すべきではないでしょうか。むしろ給付より年少扶養控除復活のほうがうれしい世帯はたくさんあるでしょう。少子化を使った「増税小芝居」は終わらせましょう。
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コラムニスト・独身研究家
ソロ社会論及び非婚化する独身生活者研究の第一人者として、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌・Webメディアなどに多数出演。海外からも注目を集めている。著書に『「居場所がない」人たち 超ソロ社会における幸福のコミュニティ論』(小学館新書)、『知らないとヤバい ソロ社会マーケティングの本質』(ぱる出版)、『結婚滅亡』(あさ出版)、『ソロエコノミーの襲来』(ワニブックスPLUS新書)、『超ソロ社会』(PHP新書)、『結婚しない男たち』(ディスカヴァー携書)、『「一人で生きる」が当たり前になる社会』(中野信子共著・ディスカヴァー・トゥエンティワン)がある。
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