【社会】日本の”賃金サイクル”は完全に壊れている…「企業がケチだから」ではない、政府が知らんぷりする「貧乏の元凶」
【社会】日本の”賃金サイクル”は完全に壊れている…「企業がケチだから」ではない、政府が知らんぷりする「貧乏の元凶」
※本稿は、井出留美『私たちは何を捨てているのか』(ちくま新書)の一部を抜粋・再編集したものです。
■苦しいのは消費者だけではない
食品の値上げが止まらない。2022年2月からつづくロシアによるウクライナ侵攻が引き金となった食料と原油の価格高騰に記録的な円安が追い打ちをかけ、日本国内で値上げされた食品は、2022年に2万5000品目以上、2023年に3万2000品目以上と、記録的な値上げラッシュとなった。2024年にはさらに1万2000品目以上が値上げされた。
帝国データバンクは食品の値上げによる2022年の家計負担額は年間6万8760円と試算している。じっさい2022年9月の消費者物価指数(生鮮食品をのぞく)は、消費増税の影響をのぞくと31年ぶりに前年同月比で3.0%を超え、2023年1月には4.2%となった。
しかし、日本農業法人協会の2022年5月の調査から、農業法人の98%は、燃油・肥料・飼料価格が「高騰」または「値上がり」していると感じていても、96%は価格転嫁が「できていない」ことが明らかになった。
中央酪農会議の2022年6月の調査では、直近1カ月の牧場の経営状況について、65.5%が「赤字」と答え、現状がつづくなら55.8%は酪農経営を「続けられない」と答えている。
■なぜ値上げしているのに「赤字」なのか
飼料価格は酪農の生産コストの半分を占める。
日本の飼料自給率は25%と低く、トウモロコシや大麦など、配合飼料原料の多くを海外に依存しており、ウクライナ危機や記録的な円安により輸入穀物価格が過去最高の上げ幅となり、酪農家の経営を圧迫している。
帝国データバンクの2022年9月の調査からも、中小企業が価格転嫁できていない実態が浮き彫りになっている。原材料の高騰などによるコストの上昇分を販売価格にまったく価格転嫁できていない企業は18.1%を占め、価格転嫁できた企業でも販売価格への転嫁率は36.6%にとどまっている。すなわちコストが100円上昇しても販売価格には36.6円しか転嫁できていないということだ。価格転嫁できない理由は「取引先の理解を得られない」「顧客離れへの懸念」などである。
2022年の農業物価統計調査からも、2020年の価格を100とした場合、肥料は130.8、飼料は138.0、光熱動力は127.3と高騰しているが、農産物は102.2と上昇幅が小さく、農家は生産にかかった費用を価格転嫁できていないことがうかがえる。2023年も同じで、肥料147.0、飼料145.7と農業資材はさらに値上がりしているが、農産物108.6、生乳109.9と生産コストに見合った価格になっていない。
■「赤字」そして「廃業」へ…
2022年11月に飲用牛乳の乳価は10円値上げされた。値上げは3年半ぶりだった。
年間で需要が最も落ち込む年末年始がせまる中での値上げは牛乳の需要低下をまねくことも、余剰生乳の大量廃棄のリスクが2021年よりも2022年の方が格段に高くなっていることも織り込み済みで、それでも酪農団体は年度途中の価格改定に踏み切らざるをえないほど追い込まれていた。
しかし配合飼料の価格が2022年に2020年比で1.4倍に高騰したのに対して、1.1倍ほどの値上げにとどまった牛乳の販売価格とのギャップから酪農家の5割以上は赤字に陥った。
農林水産省は、酪農家の負担を軽くするため2022年11月から配合飼料1トン当たり6750円を補塡することにしたが、2023年も4割は赤字のままで、酪農をやめる農家の減少は止まらなかった(生乳の生産調整のため、酪農家が2023年3月から9月にかけて乳牛を食肉処理場に出荷すると、国が1頭あたり15万円の補助金を出していたのも原因かもしれない)。
■「価格転嫁ができない」の真の問題
消費者の立場からすると、2022年から2023年にかけて食品は大幅に値上げされた印象だが、生産者や食品関連業者には売価に反映できていないコストがまだ残っていたのだ。小麦などの価格は、政府が国費を使って安く抑えていた側面もある。
欧米には消費者物価指数が10%を超えている国もあるのに、日本は生鮮食品を入れてもまだ4%程度に抑えられている。筆者には、消費者物価指数の低さが、価格転嫁できない日本企業の苦しい状況を物語っているように思われてならない。
日本政府は物価上昇を抑制するのにやっきになり、巨額の財政支出をともなう経済対策(ガソリン・肥料・電気・ガス・小麦への補助金)をおこなっているが、本来は食料システムに関わる生産から小売にいたるまでのすべてのセクションが円滑に価格転嫁をおこない、商品の価値に見合った価格に変更し、それがきちんと賃上げにつながる経済・社会の仕組みこそが必要なのではないだろうか。
もちろん、すべての人が食料を入手できるような社会保障制度が整っていることが前提であることはいうまでもない。
逆にいうと、正当な理由があっても価格転嫁のできないような壊れた食料システムが、どんなに働いても賃金上昇につながらない社会を生み出しているのかもしれない。
この問題に本気で取り組まない限り、「農業従事者の高齢化、労働力・後継者不足」という日本の食料システムの根幹に関わる問題は解決できないだろう。
■異変は“海の幸”にも起きている
国連食糧農業機関(FAO)によると、日本列島が面する太平洋北西部海域は世界でもっとも漁獲量の多い海域のひとつであり、2022年には世界の漁獲量の20%にあたる1885万トンもの魚がこの海域で水揚げされた。日本の排他的経済水域(EEZ)は世界で6番目の広さがあり、暖流と寒流が流れ、複雑な海岸線と相まって、世界でも有数の漁場だった。
しかし、世界の漁業と養殖を合わせた水揚量は1988年から2022年にかけて1億トンから2.2億トンへと倍増しているのに対し、日本では1984年の1282万トンをピークに、2022年には392万トンと3分の1以下に減少している。
異変は日本の海だけではなく、わたしたちの食生活にもおよんでいる。
食品スーパーでは、サケ・マグロ・ブリのような魚しか売れず、大衆魚と呼ばれ親しまれてきたイワシやサンマが消費者に敬遠されているというのだ。イワシやサンマには小さな骨がたくさんあって食べにくく生ごみが出るが、サケ・マグロ・ブリなら切り身や刺身で食べられるので手間がかからず生ごみも出ない。
日本人1人1年あたりの魚介類の消費量も2001年の40.2キロをピークに減少をつづけ、2023年には21.4キロとほぼ半減した。2011年には消費量で肉類に逆転され、差は広がる一方だ。
日本人は魚を食べなくなってきている。
「水産白書」(2022)の「年齢階層別の魚介類の1人1日当たり摂取量の変化」(図表1)をみると、特に40代と50代で魚離れが進んでいることがわかる。
■海水温が平均1.28度上がっている
世界有数の豊かな海であったはずの日本の海、そして、わたしたちの食卓にいったい何が起こっているのか。
農林水産省は漁獲量の減少の原因のひとつとして、地球温暖化による海水温の上昇をあげている。
気象庁によると、日本近海の海面水温は2023年までの100年間で平均1.28度上昇しており、これは世界の平均的な海面水温上昇の2倍のスピードだという。
2023年6月から8月にかけては、北日本近海で海面水温の極端な高温がつづく海洋熱波が発生している。このため青森の陸奥湾ではホタテの稚貝の大量死が発生し、北海道の羅臼昆布の養殖にも甚大な被害が出た。2023年11月に視察した宮城県気仙沼市でも、地元の漁師が「高水温で死ぬ魚がいた」と話していた。逆に北海道では、これまで漁獲量の少なかったブリが大漁となり、水揚量が1990年代の20倍になった。
■漁業者も漁船も半減している
農水省は原因として、ほかにも漁業就業者や漁船の減少による生産体制の脆弱化をあげている。
漁業就業者数は2003年に23.8万人いたのが2022年には12.3万人に、漁船の隻数も2003年に21.4万隻だったのが2022年には10.9万隻と半減している。
一方、大手水産会社社員で漁業ジャーナリストでもある片野歩氏は、「日本の水産資源管理は、漁業者による自主管理が主体となっており、日本の水揚量の大幅な減少の原因は科学的根拠に基づく水産資源管理制度の不備にある」と指摘している。
日本では「漁獲枠(TAC:魚種ごとの漁獲可能量)」が科学的に漁獲していい量よりも高く設定されている。そのため漁業者は好きなだけとれるが、本来保護しなくてはいけない未成魚や産卵魚までとることになり、資源は枯渇していく。
それに対して北欧・北米・オセアニアなどの漁業先進国では、基本的に漁船ごとに個別に漁獲枠が決まっている。そのため漁業者は、豊漁が望めたとしても、魚をとれるだけとろうとは考えない。水揚げが集中すると魚は安くなり、水揚げ金額が減ってしまうからだ。少しでも魚を高く売るには漁獲量をセーブしたほうがいい。そうすれば水揚げ金額は上がり、水産資源は保護されるという好循環が生まれるというのだ。
じっさいにノルウェーでは、1988~1990年と2015~2017年を比較すると、水揚量は約3割程度の増加であるのに対し、水揚金額は4倍弱に増加しており、水揚量を抑えながら水揚金額を大幅に伸ばすことに成功しているという。
■獲った魚の“3割”が廃棄されている
国連食糧農業機関(FAO)が2020年に出した報告書によると、世界の大半の地域では全漁獲量の約30~35%が廃棄されているという。
明治学院大学経済学部の神門善久教授は、「あまり知名度のない魚は、どんなにおいしいものでも市場で買い手がつかない可能性がある。つまり、水揚げ後の費用が賄いきれない危険性があるとして、知名度のない魚は洋上で投棄されてしまうのだ。日本沿岸の水産資源が減少して危機的状況にある一方で、このような資源の浪費が行われている」と指摘している。
日本では、これまで漁の対象となる魚種以外の魚が網にかかってしまう「混獲」はやむを得ないとされてきた。せっかく網にかかっても市場で売れない魚種や未成魚は海上投棄されてしまう。
■「混獲はやむを得ない」のか
FAOによると、よく漁獲される魚種の上位25種類が全漁獲量に占める割合は、日本(89.7%)、米国(88.7%)とほぼ同じである。同じ緯度の漁場を持つ米国では「混獲」管理が実施されている。同じ条件の米国でできているのなら、日本で「混獲」管理ができないという理由は成り立たない。
逆にいえば、漁獲魚種上位25種の漁獲枠を設定すれば、日本は水産資源の9割近くを管理できることになる。
気候変動による海面水温の上昇については、地道に脱炭素化を進めていく以外ないが、科学的な根拠に基づく漁獲枠の追加と漁獲量のセーブなら、資源の枯渇の前に早めに手を打つことができるはずだ。
■「食べられないから」捨てられているワケではない
「未利用魚」とは、サイズが規格外だったり、まとまった数がそろわなかったり、一般にあまり知られていなかったり、あまり流通していない魚のことを指す。
こうした魚は市場に出まわっても、なかなか買い手がつかないために低価格で取り引きされるか、手間を省くために海上投棄されることが多い。
これまで捨てられていた「未利用魚」を食べることは、食品ロスを減らすことにつながる。日本でも漁業者から「未利用魚」を直接購入できるサイトがあり、コロナ下の巣ごもり需要やウクライナ危機による物価高騰で一気に消費者の心をつかんだ。
2022年7月4日に放送されたNHK「クローズアップ現代」では、「価値のなかったもの(未利用魚)に価値がついて、救世主です。0円のものに対して、千円でも何百円でも価値がつくんで、それはもう全部プラスです」という漁業関係者の声が紹介されていた。
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