【社会】アルバイトの“使い捨て”が蔓延…正社員に比べて“劣悪な待遇”だった運送会社での辛い経験を「56歳アクション俳優」が映画にするまで
【社会】アルバイトの“使い捨て”が蔓延…正社員に比べて“劣悪な待遇”だった運送会社での辛い経験を「56歳アクション俳優」が映画にするまで
とある自主制作映画が4月19日(土)に神戸の元町映画館で公開される。タイトルは『〜運送ドラゴン〜パワード人間バトルクーリエ』(以下『バトルクーリエ』と表記)。『仮面ライダー』(1971年)で主人公の本郷猛を演じた藤岡弘、と怪人役の堀田眞三が53年ぶりに共演することでも話題を集めている同作。
監督の大東賢(だいとう けん)さんはアクション映画の監督業をメインに活動しており、自身もヒール(悪役)中心のアクション俳優として経歴を持っている。加えて運送会社のアルバイトを兼業していた時期もあったものの、その際にパワハラ・差別・同僚の失踪といった辛い出来事を経験しており、その一部が今回の映画にも反映されているのだとか。
昨今では特撮ヒーロー作品のテーマも多様化しているが、それでも「特撮&パワハラ」とは滅多に見られない組み合わせである。こうした映画が制作されるまでの経緯と、『バトルクーリエ』に込められた思いを、大東さんご本人に尋ねてみた。
◆異色すぎる経歴の「なにわのサモ・ハン・キンポー」
大東さんが手掛ける映画『バトルクーリエ』の舞台は、人類が月面や宇宙で商業・産業を行うようになった西暦2050年の日本。闇の組織「ゴッハイ」による攻撃で社会が混乱するなか、運送会社のアルバイト配送員である主人公・美剣(みつるぎ)はパワハラと言うべき誤配の代償に、社長命令で安物パワードスーツを着させられ、さまざまな悪と戦うはめに……というあらすじである。
製作元は「社会派コメディー映画でありつつ社会問題にも切り込んだ作品」「現代社会を映し出す鏡のような映画」と本作を評している。劇中では美剣が苦闘し、コキ使われる姿に、大東さんのパワハラ経験がある程度反映されているという。
大東さんは1968年生まれの56歳。幼少期は『仮面ライダー』の本郷猛、『Gメン’75』(1975)のアクション俳優・倉田保昭氏、香港のアクションスターなどに憧れ、自らも同じ道を志すようになった。大阪府の少林寺拳法連盟に入って腕前を上達させ、やがて本格的にアクション俳優の業界へ。
尊敬する倉田保昭氏のアクションクラブにも一時期所属していたが、膝の故障を手術するため退所。アームレスリング元王者として脚の代わりに腕で表現するアクションに目覚めた。
1998年にはアクションの仲間を集め、自身の事務所「パワーアクショングロウ」(※以下「PAG」と表記)を立ち上げ。特撮映画やアクション映画の制作、DVD販売、アクション俳優の養成・派遣など事業を行う。しかし経営は様々な事情から難航し、大東さんは経済的に追い詰められていく。
苦しい生活を支えるため、大東さんは兼業として某運送会社のアルバイトを開始。これが大東さんにとって最も辛い体験になり、後には映画『バトルクーリエ』誕生のきっかけともなった。
◆運送会社でのパワハラに打ちのめされ……
運送会社内では、大東さんをはじめとしたアルバイトが正社員に比べて明らかに劣悪な待遇を受けていた。暴言や難癖だけでなく、汚くて屈辱的な雑務強要も日常茶飯事。ほかにも大東さんの場合はアクション俳優だというので「だったらコレくらいやれ!」という無茶振りやからかいも多かった。
「管理者の方から、床にへばり付いているガムをちょっと取って、ゴミ箱に捨てろとか言われるんですよ。仕事に全く関係ないようなことばかりやらされる」
アルバイトが体の不調や故障を訴えても正社員のような保証はなく、働けなくなったアルバイトの実質的な使い捨てが蔓延。過酷でストレスフルな職場環境は交通事故や誤配の原因にもなり、そのことが正社員からアルバイトへの仕打ちをさらに過酷なものとした。
正社員3人から密室内で激しく叱責され、それから間もなくして、自ら命を絶った同僚もいたという。
PAGの経営難航と運送会社でのパワハラが重なり、大東さんは失意の底にあった。もう夢を諦めるべきか……という時、大東さんを支えたのは周囲の人との絆だった。
◆妻の支えで、逆境をバネに『バトルクーリエ』制作開始
まず大東さんへの後押しとなったのは、長年共に歩んできた妻・大東千尋(ちひろ)さんからの励ましであった。それからの話し合いのなか、千尋さんが「この経験を映画にしてみたら?」と提案。
「うちの嫁が『あんた、すごい悔いあるんちゃうの。ここまでアクション頑張って、DVDも作って映画も上映してきたのに、ここでやめてもうたらあかんよ』って感じで言ったんですよ。
運送会社でこんなパワハラがあった、仲良かった友達が急に消えてしまったとか、今まで苦しんできたことを僕が仕事帰りにベラベラ喋るんですよ。そしたら『その内容を脚本にするわ!』って、実際に書いてくれたんです」
こうして映画の脚本も千尋さんが担当することとなり、大東さんが受けたパワハラの辛さに逆襲するかのような映画……のちの『バトルクーリエ』が企画スタートする。
◆アクションの恩師や伝説のヒーロー役者など、多くの人々が支援
因縁こもった運送会社を大東さんはサックリと退職し、本格的に映画制作へ注力していく。パワハラについて全てありのまま描写するとシリアス過ぎるため、「社長命令でパワードスーツを無理やり着させられる主人公の特撮ヒーロー物」として翻案。大東さんは今までのヒール役と正反対の、お人好しなおじさん主人公を演じることとなった。
PAGでは映画の制作協力依頼や出演依頼、宣伝協力依頼のため各所にアプローチ。その過程で伝説的アクション俳優の藤岡弘、氏や堀田眞三氏の出演、奈良県観光大使からの協力、そのほか数多くの関係者から理解と支援を受けることに成功した。
「いつもだったらDVD作ったり単館上映したりで終わりだったんですけど、今回は『全国ロードショーしよう!』ってなって。関西と関東で何館か上映できるのは初めてだし、さらに頑張っていきたいです」
また、以前所属していたアクションクラブの代表であり、大東さんにとって師とも呼べる倉田保昭氏からも熱い言葉を受けた。パワハラで悩んでいる時期に「君は真剣にアクションを考えている!このまま辞めたらダメだから、一生に一度、最後まで頑張って続けてくれ!」と激励を受け、このことが後々まで強い力になったという。
映画撮影では大阪府四條畷市の自宅からロケ地の三重県・安土城天守まで車で毎日三時間移動し、そこで高所まで重い特撮スーツを運び上げ、スーツ装着して演技をすることも。肉体的にはハードな日々ながら、大東さんにとっては、ようやく自分のやりたいことと真正面から取り組める充実の時間であった。
◆「好き!」を貫くことが人生の支えに
かくして映画『バトルクーリエ』は完成し、4月19日(土)公開が決定。現在も大東さんはプロモーション活動などのため、大阪と東京を新幹線で頻繁に行き来している。
取材の最後、映画を通じて世に伝えたいメッセージを大東さんに尋ねたところ、何よりも「パワハラやイジメ、苦しい境遇に悩む人達を励まして、世の中をちょっと良くしたい」ということであった。
運送会社でのパワハラだけでなく、大東さんは学生時代のイジメなどにも苦しんでいたという。そんな大東さんにとって常に心の支えだったのは、アクション俳優やアクション業への憧れと熱意。自分の趣味・好きなもの・夢や目標を大事にし続けることが、世間に渦巻く理不尽・不条理へ立ち向かううえで何より強い力になる……そうしたことを、大東さんは『バトルクーリエ』を介して世間に広めようとしている。
「僕はアクション俳優なので、単なる俳優仕事はほとんどやらないんですよ。僕の知り合いでもアクション俳優を名乗ってた人が、アクションブームが去ってから別の仕事に転向した人はかなりいます。食べていくためには仕方ないことですけど、僕は最後までアクション俳優を名乗っていきたいです。
一人の人間を愛するように一つの物事を愛して、一つの物事を愛するように一人の人間を愛することができれば、それで頑張ることができますよって、それを世の中の人に感じてほしいですね。それだけじゃなく、職場を良くするっていうのも愛だし、それを映画で伝えていくっていう」
今後の目標について、大東さんは「今回の映画が成功すれば続編も作りたい」「PAG制作の映画に倉田保昭先生や、海外のスターも出演してもらいたい」と笑顔で語っている。ちょっと上の目標からはるか高みまで、目指す道のりは長いながらも、その道を踏破してやろうという気概が「なにわのサモ・ハン・キンポー」からは感じられた。
大東さんの作品『バトルクーリエ』を観た人の中には、主人公・美剣が苦しみを背負いながらパワハラや強敵へ立ち向かう姿に心打たれる人、我が身を重ねて励まされる人が決して少なくないだろう。映画というフィクション内で戦う変身ヒーローの勇姿が、現実世界のどこかで悪習を打ち払う助けになることを願うばかりである。
<取材・文/デヤブロウ>
【デヤブロウ】
東京都在住。2024年にフリーランスとして独立し、ライター業およびイラスト業で活動中。ライターとしては「Yahoo!ニュース」「macaroni」「All Aboutニュース」などの媒体で、東京都内の飲食店・美術館・博物館・イベント・ほか見所の紹介記事を執筆。プライベートでも都内歩きが趣味で、とりわけ週2〜3回の銭湯&サウナ通いが心のオアシス。好きなエリアは浅草〜上野近辺、池袋周辺、中野〜高円寺辺りなど。X(旧Twitter):@Dejavu_Raw
