【社会】「どう見ても愛子さまの即位が自然」初の被災地訪問で皇室研究家が痛感した「秋篠宮家」との決定的違い
【社会】「どう見ても愛子さまの即位が自然」初の被災地訪問で皇室研究家が痛感した「秋篠宮家」との決定的違い
■初めての被災地訪問
5月18・19日にかけて、天皇皇后両陛下のご長女、敬宮(としのみや)(愛子内親王)殿下が、昨年元日の能登半島地震で大きな被害を受けた石川県にお出ましになった。目的地は深刻な被害がありながら、まだ天皇皇后両陛下がお入りになれていない七尾市と志賀町だった。
両陛下は昨年、1年のうちに石川県を3度も訪れておられる。3月22日に輪島市と珠洲市、4月12日に穴水町・能登町、12月17日に輪島市というご日程だった。
限られた期間に同じ被災地域に繰り返し入られることは、平成時代にもなかったことだ。両陛下の強いお気持ちが伝わる。
敬宮殿下が被災地を訪問されるのは、今回が初めてだ。
よく知られているように、もともと昨年9月に同県を訪れるのが、敬宮殿下の地方での初めての単独のご公務になるはずだった。しかし、直前に豪雨災害があったために、お出ましは中止せざるを得なくなった。この時のご訪問は、殿下ご自身の強いご希望によるものと伝えられていた。それだけに、現地の人々はもちろん、敬宮殿下にとっても残念だったに違いない。
■「被災地に心を寄せ続ける」
敬宮殿下はご成年を迎えられた時の記者会見(令和4年[2022年]3月17日)で、次のようにおっしゃっていた。
敬宮殿下はかねて、「被災地に心を寄せ続ける」ことが皇室の大切な役目の一つである、と自覚しておられた。だから殿下は、昨年はいったん中止を余儀なくされたものの、「またいつかチャンスがあれば」と願っておられたという(敬宮殿下とテニスを通じて交流がある元プロテニスプレーヤーの佐藤直子氏の談話)。
このたび、いよいよ石川県へのお出ましが決まった。そのご心中は、拝察するにあまりある。
しかし18日は日曜日で、日本赤十字社に常勤で勤務される敬宮殿下にとって、この日は貴重なお休みのはずだ。それでも休日返上で、被災地にお入り下さった。
■愛子さまフィーバー再び
18日当日、金沢駅の周辺では、敬宮殿下のご到着を待つ多くの人たちが、早くから詰めかけていた。昨年のお出ましが中止された事情もあり、「待ちに待っていた」という声も聞かれた。
敬宮殿下はご訪問のスタート時点から大歓迎を受けられた。
現地の実情について説明を受けられるために県庁に移動された時も、県庁前には大勢の人が集まった。殿下が到着してお車から降りられると、一斉に「愛子さまー」という声が上がった。この後も、現地では大阪・関西万博へのお出ましに続いて、「愛子さまフィーバー」が起きた。
市内の沿道には約1000人もの人たちが集まって出迎えたという。
七尾市は、能登半島地震で震度6強を観測し、これまで災害関連死を含めて53人が亡くなり、34人が重傷を負い、3人がケガをした。住宅の全壊被害は500件以上で、損壊被害は約1万7000件にのぼった。水道も被災後はほぼ全域で断水するなど、多くの人が苦しんだ。
いまだ復興の途上にある被災地に赴かれた殿下は、万博会場を視察された時とは異なり、皇女としての品格を保たれながらも、華美な服装を避けておられた。現地の人々への殿下の奥ゆかしいお心配りが察せられる。
■膝をつき目を合わせて
七尾市の仮設住宅団地の集会所を訪れられた時には、高齢者たちがイスに座って身体を動かす健康体操をしている様子をご覧になった。その後、直接、その人たちにお声をかけられた。腰を下ろし片ひざを床につけ、目を合わせて穏やかにお話をされた。
高齢者に配慮したマスク越しながら、殿下のお優しいまなざしから、お気持ちは十分に伝わっただろう。その際、災害当時の辛かった体験を思い出させるような話題は避けて、今の生活の楽しさを引き出すような会話をなさっていたのは、誰にでもたやすくできる配慮ではないだろう。
殿下との楽しい会話から、周囲の人も声を出して笑う場面が見られた。
■ご公務前の入念な準備
2日目に志賀町を訪れられた時も、沿道で大勢の人たちが出迎えた。
志賀町では20人が亡くなり、今も356戸の仮設住宅で被災者が暮らしている。
ご案内にあたった稲岡健太郎・町長は、敬宮殿下から聴いた話として、志賀町の“町の花”のハマナスは皇后陛下の「お印」なので親しみを感じていただいた、と喜んでいた。殿下はあらかじめ、わざわざ町の花も調べられ、皇室との接点をご自身で見つけておられたのだ。
殿下はご公務に臨まれる際に、入念に事前の準備をされることが知られている。このハマナスの件も、まさに事前調査のたまものだろう。
本当なら、敬宮殿下をお迎えする側の町長の方が事前に調べて、ハマナスが皇后陛下のお印である事実に先に気づくべきだったかもしれないが……。
■選手の1人に「今日はお誕生日ですね」
敬宮殿下の事前準備については、今年2月2日に行われた「天皇杯 第50回記念 日本車いすバスケットボール選手権大会」を天皇皇后両陛下とご一緒に観戦された時のエピソードがある。
優勝チームの1人の選手に「今日はお誕生日ですね」とおっしゃったというのだ。その選手はもちろん、他の選手たちもみんな驚いたという。
殿下がその選手の誕生日をご存じだったということは当然、他の選手の誕生日も知っておられるに違いない。さらに誕生日だけでなく、選手それぞれのさまざまな事柄も(しかもどのチームが優勝するか分からないので他のチームの選手についても)こまかく知った上で、この日に臨まれたことを意味する。
殿下に、そこまで気にかけていただいた選手たちの感激は、いかばかりだったか。
おそらく殿下の事前準備の大変なご努力のほとんどは、誰にも知られないままご公務が終わっているはずだ。しかし、そのご準備があればこそ、初めて会う人たちにも行き届いた配慮ができ、限られた時間の中でも大きな励ましと安らぎを与えることができるのではないだろうか。
■「中長期的な支援も不可欠」を実践
さらに、通りすぎるお車の窓を開けて、車内から精一杯お手を振って沿道の人たちに応えられるお姿からも、現地の人たちにお心を寄せようとされる敬宮殿下の懸命さは、おのずと伝わるのではないだろうか。だからこそ、沿道でお迎えした1人はこんな感想を述べていた。
「(お迎えできて)嬉しかった。元気をもらえました。被災地にいて、これからも頑張ろうと思えたし、勇気を持てた」(理容店経営の大畠広子さん)
殿下は5月3日に開催された「第23回世界災害救急医学会」での初めての公式なご挨拶の中で、災害医療について次のように言い切っておられた。
「被災者の心のケアを含む健康維持のための中長期的な支援も不可欠です」と。
“不可欠”というのは皇族のおことばとしては強い表現だが、今回の敬宮殿下の石川県ご訪問は、まさにご自身でそれを実践されたことになる。
■ご公務とお仕事の理想的な融合
とくに注目したいのは、今回のお出ましでは、皇族としての「ご公務」と日本赤十字社の嘱託職員としての「お仕事」との、“理想的な融合”が実現していたことだ。
殿下のご希望で初日には、当初の予定にはなかったとされる地元の金沢大学のボランティアサークル「ボランティアさぽーとステーション」のメンバーとの懇談の機会が、持たれた。学生たちとの会話の中で、ボランティアの最前線の声に直接触れられるとともに、適切なアドバイスもされていたようだ。
殿下にお会いしたメンバーの1人は、次のように語っていた。
「すごく実務的なことを御質問されたので、ボランティアに関心がおありになって、どうやってご自身の(日赤での)業務に生かされていくのか、すごく熱意のようなものを感じました」と。
■ご自身の意欲のあらわれ
また2日目に志賀町の災害ボランティアの受付会場にも立ち寄っておられた。そこでは、ボランティア受け入れ現場の実情とボランティア支援活動の内容について、つぶさに説明を受けられている。
これらは、日本赤十字社でのご自身の職務にかかわる貴重な情報の収集であるとともに、皇族としてのボランティアやその支援活動に携わる人たちへの力強いお励ましでもあったと言える。
このような、ご公務とお仕事の自然な融合が可能なのは、どちらも“外から”与えられた義務ではなく、敬宮殿下ご自身が1人の人間として、また独立した人格として、自ら意欲を持って、自発的にご活動に取り組もうとされているからにほかならないだろう。
■公務に対する捉え方の違い
皇室のご公務については、おもに「受け身」のものとする考え方もある。たとえば秋篠宮殿下は、以下のように述べておられた。
「(悠仁親王殿下のご成年後に)いろいろなところから(公務の依頼の)声が掛かることが予想されます。そのときに、声を掛けていただいたものに関わるときには一つ一つ大事に思って丁寧に取り組んでほしい」(令和6年[2024年]のお誕生日に際しての記者会見)
これはもちろん、ご立派なお心構えだろう。
しかし、天皇陛下の場合、ご公務の捉え方が少し異なるように思える。次のようにおっしゃっているからだ。
■「国民を思い、国民に寄り添う」
ここで注目すべきなのは、「国民を思い、国民に寄り添う」ということが、「皇室の大事な務めである」よりも“前に”、まずご自分たちの「自然な気持ちである」とされていることだ。
単に外から「依頼を受けて」とか「声を掛けていただいたもの」というだけの“受け身”の務めではなく、自らの「自然な気持ち」つまり主体性、内発性こそが、重視されている。
このたびの被災地にお出ましになった敬宮殿下のなさりようを拝見すると、まさにご自身の「自然な気持ち」に裏打ちされたお振る舞いとしか受け取れない。だからこそ、「言葉にならないくらい感激しました」(今も仮設住宅に住んでいる女性)といった感想が自然に出てくるほど、現地で大きな感動の渦を巻き起こすことができたのではないだろうか。
■「世界平和」の言葉が自然に出てくる理由
しかもボランティアサークルの学生が、被災地の力になりたくてボランティア活動に加わったことを語ると、敬宮殿下は「そういう方がいらっしゃると世界は平和になりますね」とお応えになった。ここで「世界平和」というキーワードが、自然な形で出てきている点も見逃せない。
同行取材をしたテレビ朝日の遠藤行泰記者は、敬宮殿下は「(世界平和という)大きなことをおっしゃっても、周りを驚かせない」雰囲気をお持ちだと語っている。
世界平和については先ごろ万博をご視察になった時に、シンガポール館の自分の夢を描くコーナーで、当たり前のように「世界平和」と書かれたことが記憶に新しい。殿下は学習院女子中等科の卒業文集で、修学旅行で初めて広島を訪れられた時のご感想を「世界の平和を願って」という作文にまとめられておられた。
そこで、「世界平和」という漠然とした縁遠い観念と受け取られがちなテーマを、ご自身の暮らしに引きつけて記しておられた。
「日常の生活の一つひとつ、他の人からの親切一つひとつに感謝し、他の人を思いやるところから『平和』は始まるのではないだろうか」と。
世界平和と言うと、ややもすれば頭の中だけの妄想とか、政治的なスローガンに堕してしまうことが多い。だが殿下にとっては決してそうではなかった。これは、おそらく天皇皇后両陛下のおそばで育ってこられたからだろう。
天皇陛下は世界中の指導者などと親しくお会いする機会を持っておられる。「世界」を単なる空想ではなく、現実味を持って実感できるお立場なのだ。その天皇陛下のもとで育ってこられた事実は重い。
■昭和天皇から引き継ぐ「平和への祈り」
しかも、「平和」は昭和天皇以来の皇室にとって、切実な願いだ。近代以来の日本は、明治、大正、昭和と、どの時代の天皇もご自身は決して戦争を望んでおられなかったにもかかわらず、戦争を避けることができなかった。その事実への“痛恨”の思いがある。
昭和天皇は身体を深くガンに冒されながら、ご生涯で最後に迎えられた昭和63年(1988年)の終戦記念日にも、那須御用邸でのご静養を切り上げて2日前にヘリコプターでご帰京のうえ、日本武道館での全国戦没者追悼式にお出ましになり、世界平和への願いを述べられた。この日の御製は次のようなものだった。
「くやしくもあるか」という激しいご表現は天皇の御製としては異例だ。それだけ強く平和を願われるお気持ちが込められていた。
■「世界平和」の言葉の重み
また上皇陛下は、最後に迎えられた天皇誕生日を控えての記者会見(平成30年[2018年]12月20日)で、次のように述べておられた。
平和が当たり前と錯覚していた呑気な私などは、ガツンと頭を殴られたようなショックを受けた。上皇陛下は平成時代に薄氷を踏む思いで日々、平和が続くことを願い続けておられたのだった。
そのお気持ちを最も近くで受け止めてこられた天皇陛下。その天皇陛下のお気持ちを誰よりもまっすぐに受け継いでおられるのが、敬宮殿下だ。だから「世界平和」という言葉の重みを、深く心に刻んでおられる。
今年は戦後80年の節目の年であることから6月4日から2日間のご日程で、敬宮殿下は天皇皇后両陛下とご一緒に、先の大戦末期の地上戦で多くの犠牲を出した沖縄を訪問される。これも殿下ご自身の強いご希望によると伝えられる。
ボランティアサークルの学生へのご発言の背景に思いをめぐらすと、令和の皇室における敬宮殿下の大切さが改めて浮かび上がる。
■読売新聞が皇室典範改正で提言
敬宮殿下が石川県にお出ましになる少し前の5月15日、国内で最大の発行部数を誇る読売新聞(575万部)が、重大かつ勇気ある「提言」を行った。
自民党などが、本来の優先課題であったはずの安定的な皇位継承への検討を先送りして、皇族数の減少に“目先だけ”の歯止めをかけるプランでお茶を濁そうとしている体たらくを、黙って見過ごすことができなくなったようだ。
側室による非嫡出子の継承可能性がとっくに排除されながら、明治の皇室典範以来の「男系男子」の縛りをうっかりそのまま維持するという、構造的な欠陥を抱える今の皇位継承ルールを変更し、女性天皇、女系天皇という選択肢を真正面から検討すべきだ、という内容だった。
この提言を受けて、皇室のご意思を最も知り得る立場にある羽毛田信吾・元宮内庁長官は、「二分される論点も民意に沿って集約されるのが自然だ」(「読売新聞オンライン」5月19日公開)と述べた。
共同通信の世論調査(令和6年[2024年]4月29日発表)では90%の国民が女性天皇を認める。毎日新聞の調査(令和7年[2025年]5月22日発表)でも70%が賛成し、反対はわずか6%だった。そのほかの世論調査の結果を見ても民意の所在は明らかだ。
民意に沿った選択肢が実現すれば、天皇皇后両陛下のお気持ちを誰よりも素直に受け継いでおられる令和で唯一の皇女の敬宮殿下が、当たり前に次の天皇として即位されることになる。「読売提言」の直後に石川県で展開された美しい光景は、わが国の未来を切り拓くために何が求められているか、その道筋を見事に照らし出した。
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神道学者、皇室研究者
1957年、岡山県生まれ。国学院大学文学部卒、同大学院博士課程単位取得。皇位継承儀礼の研究から出発し、日本史全体に関心を持ち現代の問題にも発言。『皇室典範に関する有識者会議』のヒアリングに応じる。拓殖大学客員教授などを歴任。現在、日本文化総合研究所代表。神道宗教学会理事。国学院大学講師。著書に『「女性天皇」の成立』『天皇「生前退位」の真実』『日本の10大天皇』『歴代天皇辞典』など。ホームページ「明快! 高森型録」
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